虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

原爆の日 広島の思い出

2010-08-06 | 日記
今日は原爆記念日。

朝、NHKで原爆記念式典の中継を見ていたら、15分くらいで突然中断、「ゲゲゲの女房」に画面が変わった。菅総理の挨拶を中継したら、あとはいいだろう、と判断したのか、NHKの関心のなさ、ジャーナリズム精神の欠如をあらわすものだ。視聴者から苦情の電話が多数あった、ということだが、当然だろう。

ついでに、広島の思い出を。
小学校4年生の1学期間だけ、広島市の「みどり町」というところに住んでいた。この「みどり」、翠町と書くのだろうか。遠くに比治山という山があり、その上の白い建物が原爆病院だと聞かされた記憶がある。家族で、原爆記念館も見学した。子供だったので、ちょっと気分が悪くなった思い出がある。

広島にはあまりいい思い出はない。
片岡千恵蔵の「大菩薩峠」第三部を見たこと、マンガ雑誌「少年」で「鉄人28号」と「鉄腕アトム」に出会ったことくらいか忘れられない思い出か。本なんかは読まなかった。

このころは、学校では、毎日、勉強で、残されていた(残したって、無駄なのに)。色の真っ黒な男の先生だった。国語の方言の学習の時間に、わたしが大阪から転校してきたので、「おまえ、大阪弁を使ってみろ」といわれて、みんなの前で一言大阪弁を使った(大阪だって、一年も住んでいなかったのだが)。授業で当てられたのはこの時だけ。

1学期終業式のとき、わたしが転校することを忘れていたのか、みんなの前では何もいわず(転校をくりかえしてきたが、そういえばどこでもお別れ会なんてやったことがなかった。別にいいけどさ 笑)、あとで学校に来てくれ、と言われた。自転車に乗ってノコノコ出かけると、めんどくさそうに書類を渡され、最後にこう言った。「おまえみたいな成績では、東京なんかではとてもついていけないぞ」(次は東京へ転校だった)。暑い夏、いやーな気持ちになって自転車をこいで家に帰ったことを覚えている(笑)。

お好み焼きの元祖?は広島焼きだけど、あれも原爆と関係すると聞いたことがある。
廃墟の中で、残ったものは、家の「かまど」と女の人だけ(男は戦争でいない)。だれにでもすぐに出来るのが、あのお好み焼きだ。広島の女の人たちが、廃墟の中で、お好み焼きを作り、売り始めた、と。たしかなことはわからないけど。