ちょくちょく行く古本市場や回り寿司からすぐそばだった。知らなかった。
川西市郷土館。住所は川西市下財町。
下財とは、銀山銅山で働く坑夫たちのことを言う。下財人といったり、下罪人とよばれることもある。上野英信の本では、炭鉱の坑夫たちも、ゲザイ人と呼ばれるようだけど、差別的な言葉だと思ったが、2代3代続く堀り子でないとゲザイ人とは呼ばないと坑夫から聞いたという文章があった。ここの館長さんは、下財とは、お金を使う、散財する、という意味といっていた。下罪人か下財人なのかどっちなのか。
とにかく、ここは、昔は坑夫たちが住んだ町だったのだろう。今は静かな住宅地だけど、ここに多田銅山の精錬所があり、明治から昭和の初期まで平安家が運営したそうだ。その平安家の屋敷が郷土館になっている。
平安家は銅山で大いに儲けたようで、家も立派。10mも続く廊下は松の木で、節がひとつもなく、柱は屋島からとりよせたとか。しかし、わたしにには家のことはよくわからない。大正時代に建てられた屋敷。鉱山資料を展示したり、お箸の展示室もある。サンダルはいて外に出ると、精錬所跡があり、そこには、旧平賀邸という大正期に建てられた洋館やミューゼレスポアールという美術館(川西市ゆかりの画家の絵を展示)がある。
ここもまた誰も訪れない広い場所で、静か。紅葉もきれい。カメラを忘れてきたので、また来たいと思った。平安家はその後どうなったのだろう。幕末からここに住んでいたらしい。
入館料300円。ご家族が住んでるようだ(平安家と関係あるかどうかは知らない)。
川西市郷土館。住所は川西市下財町。
下財とは、銀山銅山で働く坑夫たちのことを言う。下財人といったり、下罪人とよばれることもある。上野英信の本では、炭鉱の坑夫たちも、ゲザイ人と呼ばれるようだけど、差別的な言葉だと思ったが、2代3代続く堀り子でないとゲザイ人とは呼ばないと坑夫から聞いたという文章があった。ここの館長さんは、下財とは、お金を使う、散財する、という意味といっていた。下罪人か下財人なのかどっちなのか。
とにかく、ここは、昔は坑夫たちが住んだ町だったのだろう。今は静かな住宅地だけど、ここに多田銅山の精錬所があり、明治から昭和の初期まで平安家が運営したそうだ。その平安家の屋敷が郷土館になっている。
平安家は銅山で大いに儲けたようで、家も立派。10mも続く廊下は松の木で、節がひとつもなく、柱は屋島からとりよせたとか。しかし、わたしにには家のことはよくわからない。大正時代に建てられた屋敷。鉱山資料を展示したり、お箸の展示室もある。サンダルはいて外に出ると、精錬所跡があり、そこには、旧平賀邸という大正期に建てられた洋館やミューゼレスポアールという美術館(川西市ゆかりの画家の絵を展示)がある。
ここもまた誰も訪れない広い場所で、静か。紅葉もきれい。カメラを忘れてきたので、また来たいと思った。平安家はその後どうなったのだろう。幕末からここに住んでいたらしい。
入館料300円。ご家族が住んでるようだ(平安家と関係あるかどうかは知らない)。