多田銀山史跡保存顕彰会発行の「多田銀山・史跡と伝承」という冊子を手に入れた。多田銀山に関する本は出てないのではなろうか。これには、顕彰会の会員が多田銀山の史跡と伝承について書いた60ページほどの冊子で史跡マップもついていて、便利だ。
読むと、やっぱりあそこ(多田銀山)は怪奇な伝説がいっぱい。初めて行ったとき、なんとなく異様な気がしたけど、そうだったのか、と思った(わたし、すごいおくびょうもの)。なにせ、金山彦神社も甘露寺も、見学できる間歩も、だーれもいないのです。あまり、来る人はいないのでしょう。
途中に、中谷工業というのがあるらしく、いったい、なぜこんなところに工業会社が、と思ってあとで、ネットで調べると、梱包の会社らしいけど、それは外面で、実際は、財宝発掘の仕事をしてたりして(笑。中谷工業さん、失礼。冗談です)
登っていくと、左に曲がる坂道があって、左に曲がると、太閤時代の間歩(坑道)や中谷工業もあるはずですが、わたしは、そこでひきかえしました(大きな犬が道で番をしていたこともある)。でも、そのまま左の道を進むと、「墓の元」という地名になっていて、、そこには立ち入らない方がよかったのかも。
ここの造成工事のとき(昭和40年代)、新車のダンプカーが転落。数日後、別のダンプカーで現場に向かったのですが、ダンピカーがぜんぜ動かず、作業ができないことがあったそうな。最近になって造成されたそうだけど、また不幸なことが現場であったそうです。ここは無縁墓がたくさんあったそうで、立ち入るとたたりがあるといわれているそうだ。
そのほか、甘露寺に霊が出たとか、坑道の中で鎧を着た武人がでてきた、とか(最近の話)たくさんミステリーがあるようだ。。首斬り池とか底なし穴、身投げの井戸、死罪人間歩などもある。銀山というのは、過酷な労働で、多くの人々の浮かばれない霊があるのかもしれませんね。ああ、こわ。あるいは、財宝を守るために、人を近づけさせないために、こんな話がある?
多田銀山は謎に満ちています。
読むと、やっぱりあそこ(多田銀山)は怪奇な伝説がいっぱい。初めて行ったとき、なんとなく異様な気がしたけど、そうだったのか、と思った(わたし、すごいおくびょうもの)。なにせ、金山彦神社も甘露寺も、見学できる間歩も、だーれもいないのです。あまり、来る人はいないのでしょう。
途中に、中谷工業というのがあるらしく、いったい、なぜこんなところに工業会社が、と思ってあとで、ネットで調べると、梱包の会社らしいけど、それは外面で、実際は、財宝発掘の仕事をしてたりして(笑。中谷工業さん、失礼。冗談です)
登っていくと、左に曲がる坂道があって、左に曲がると、太閤時代の間歩(坑道)や中谷工業もあるはずですが、わたしは、そこでひきかえしました(大きな犬が道で番をしていたこともある)。でも、そのまま左の道を進むと、「墓の元」という地名になっていて、、そこには立ち入らない方がよかったのかも。
ここの造成工事のとき(昭和40年代)、新車のダンプカーが転落。数日後、別のダンプカーで現場に向かったのですが、ダンピカーがぜんぜ動かず、作業ができないことがあったそうな。最近になって造成されたそうだけど、また不幸なことが現場であったそうです。ここは無縁墓がたくさんあったそうで、立ち入るとたたりがあるといわれているそうだ。
そのほか、甘露寺に霊が出たとか、坑道の中で鎧を着た武人がでてきた、とか(最近の話)たくさんミステリーがあるようだ。。首斬り池とか底なし穴、身投げの井戸、死罪人間歩などもある。銀山というのは、過酷な労働で、多くの人々の浮かばれない霊があるのかもしれませんね。ああ、こわ。あるいは、財宝を守るために、人を近づけさせないために、こんな話がある?
多田銀山は謎に満ちています。