らんかみち

童話から老話まで

原発と生肉の自己責任率

2011年05月09日 | 暮らしの落とし穴
 不思議なもので、「ユッケ、ユッケ」と毎日聞かされて美味しそうな写真を見せられていたら、食中毒の危険を顧みずに食いたくなってきました。しかし焼き肉店の現場でメニューを見て、恐らく尻込みするであろうぼくの姿も想像に難くありません。

「絶対に安全というものはこの世に存在しません。ユッケや生レバーをご注文のお客様は、自己責任でお願いします」などと但し書きでもあった日にゃ、金を取ってそれは無いだろうが!
 だけど考えてみればトラフグ料理だって絶対に当たらないって保証は無いわけで、遺族に賠償金が支払われても命は巻き戻せないなら、美食から自分の命を守るのは自己責任の範疇なのだろうか。

 そんなこと考えていたら美味いものなんか食えるか、という意見はもっともで、くさやの干物だって発酵と腐敗のボーダーラインにあるというじゃないですか。
 カンボジアだかの「ヒヨコ入りゆで玉子」とか、琵琶湖の鮒寿司とかを食べることができるのは、伝統的な食品という、そこはかとない安心感のなせる技でしょう。あれらを何も知らずに目の前に出されたなら「自己責任」の四文字が脳裏に去来するはずです。

 思えば原発も生肉も、なんとなく安全なのだろうと思い込んできたし、どちらも素敵な側面があるのは否定できません。温室効果ガスを排出しないという意味においてはクリーンな原発だし、生肉にしかない風味も魅力的じゃないですか。
 両者を同じリングに上げて物を言うのは乱暴過ぎるけど、どちらも自己責任だったのか?

 生肉の危険性を指摘する声は以前からあったし、原発の危険性においては論を待たない。密かに反対はしていたけど、原発の建設を黙認してきた一市民として、福島第一原発事故の責任の全てを、国が推進してきた電力政策に転嫁できるのだろうかと不安に思う。
 絶対に安全というものは無いと頭の片隅で考えつつ、生レバーなどを食べてきた自己責任が問われているような気持ちになるのです。