らんかみち

童話から老話まで

祭りだ祭りだ、お見合いだ

2010年09月19日 | 暮らしの落とし穴
 童話を書かねばならんのだが、村長業(もはや損長行という荒行か)に振り回されている上に祭りの準備と来た! 
 若い人や外地よりI・ターンされた方などは村祭りに対して特段の思い入れも無いでしょうが、お年寄りにとっては神事であるという以前に勝手に血が騒ぐようです。年に一度の大イベントであるからではなく、脳内で記憶を司るといわれる海馬からの信号で、アドレナリンが大量放出されるからではないかと、ぼくは邪推しております。

 当地の祭りも、勇猛果敢な岸和田だんじり祭りや絢爛豪華な新居浜太鼓祭りのように、蛮勇を尊んだ時代を経て衰退を迎え、線香花火の残り火みたいに繊細な趣を呈するに至ったわけです。では何が邪推なのかというと、ぶっちゃけ、お見合いの場として祭りは機能していたのです。
 祭りが終わると祭りの会計報告として「算用酒(さんようざけ)」と呼ばれる打ち上げパーティーが催されますが、かつてこの場には、鬼も十八番茶も出花の小娘たちが綺麗なおべべを着て酌をしてくれ、酔った勢いでゴールインしたケースも少なからずあったやに聞いております。

 家内安全、五穀豊穣、海上交通の安全を祈願する神事に託し、古き良き時代のノスタルジーに浸りたいというのが、当地の伝統行事を継承していくモチベーションとなっているのではないでしょうか。今でいう出会い系、mixiとかのように、一部不純な動機によって祭りという神聖な行事は連綿と支えられてきたのです。
 あっ、言うてもた! ええのかいな、村長がこんな発言していて? 「ブログ村長」などと呼ばれてリコールされたなら、それはそれで肩の荷が下りようというものですが、そうコロコロ首はすげ替えてもらえそうにない……。
(近代における当地の成り立ちと祭りの有りようは密接な関係がありそうですが、それはまた祭りの後にでも)

とんでもない村長が誕生してしまいました

2010年09月18日 | 暮らしの落とし穴
 我が寒村に村議会なんてものは存在しない、かといって村上水軍の支配下にあった安土桃山時代のように、治外法権を行使できる独立島でもないので、単なる自治会長選挙とはいえ公の政ではあります。議事録だとか会長選出方法だとか、結果などを市に報告しないといけないんですね。面倒な話ですが、市から報酬をいただくのなら避けては通れない村長選挙です。

「村長さんやりたい人、手を挙げて」と言われて「はいはい」と手を挙げるような奇特な方がこの村におられるはずもないんです。ただでさ高齢化した住民ばかりなのに、やっかい事をいくつも抱えていれば尚のこと「お前やれ、あんたがやれ」と譲り合うのも仕方のないことです。

 ゴルフで「ソンチョーさん」といえば、休憩所の前のホールでやるゲームです。スタートして4、5ホール目にくるとスコアに差ができていたりして、スコアで負けている人は「なあ、次の茶店で冷たいもんでも奢ってや」と、勝っている人にたかろうとするんですな。
 自発的に奢るのなら優越感もあったりするんですが、強制的に奢らされるってのは実に不愉快なものです。「なんでお前に奢ってやらなアカンねん!」となりますわな。
「よっしゃ、それやったらソンチョーさんで奢る人を決めよやないか」となるんですが、この他愛もないゲームは、実利をとるかスコアを優先するかで明暗が分かれてしまいます。
 詳しくは説明しませんが、スコアを落としてまで他人に奢らせて、二日酔いで酒を受け付ける状態でもないのに、茶店で無理してビールを飲んだりする不毛な遊びです。負けて奢らされるから「損長さん」との謂われがあります。

 それで、当夜選出された「損長さん」……実はぼくなんです! 子どものころからくじ運の悪さは家族内でも突出してましたし、貧乏くじを引かせたらピカ一のぼくですので、今回もやっちまいましたorz といってもあみだくじで決めたわけではなく、満場一致の損長さんなのです。
 ラブコールは何年も前からあったんですが「器じゃないですよ」と退けてきたのに、前任が「鳩山さん」してしまったので、受けざるを得なくなって年末までの暫定自治会長です。といっても年末で解放されるわけがない、まさに村長ならぬ損長さんです。

今に生きる者は、今の神に傅け

2010年09月17日 | 暮らしの落とし穴
 今を去ること65年前の9月17日といえば、といっても知っている人の方が少ないかもしれませんが、枕崎台風が日本を縦断して甚大な被害を記録した日だそうです。
「船長、いま甲板に出るのは危険です!」
 ボースン(甲板長)が制止するのも聞かず、暴風に対する備えを確認するため船長はデッキに立ち、大波にさらわれて海の藻屑と消えた。

 これがぼくの祖父ちゃんの最後だったそうです。一番上の姉が産まれる3か月ほど前のことなので、孫を抱くことがをかなわなかった祖父ちゃんを、孫のぼくとしても会いたかった。
 で、お寺からの案内によると今日が祖父ちゃんの66回忌なんだそうです。こういうことってお寺に伝えてもらわないと、核家族化した今の孫には伝わり難いですよね、恥ずかしながら、ぼくも今日知ったくらいです。

 菩提寺の本堂でご住職にお祈りをしていただいた後、ご住職と雑談などしましたが、安芸の宮島は大聖院の辻村寿三郎展の素晴らしさと言ったら、一つ失敬したかった、というほどだったそうです。宮島の故事来歴も聞かせていただきましたが、想像していたのとは、かなり隔たった話でした。

 バーミヤンの遺跡、磨崖仏をイスラム原理主義者が破壊するのを戦慄を以て受け止めた我々ブッディスとですが、あんなのは規模の点ではかなわないまでも、組織的、精神的には明治の廃仏毀釈に比べたら甚大なダメージではないかもしれません。

 つい最近確立されたかもしれないコモンセンスを、さも千年も前から信奉されていたかのように唱える場合が少なくないけど、時代と共に神は死んでは生まれ変わっているのでしょう。
 昔の神と今の神を比べようとするから訳がわからなくなるし、議論が迷宮を出られなくなってしまう。今を生きる者は、今に生き続ける神に傅くべきだと思う。

秋の支度をムカデに促され

2010年09月16日 | 暮らしの落とし穴
 陶芸クラブに顔を出したら、いつもなら無愛想に出迎えるはずのマスコット犬(柴犬)がグッタリして身じろぎもしません。死んどるのかと、棒でツンツンしたら目を覚ましたものの表情は失ったままじゃないですか。飼い主に聞いたら、「金玉をムカデに噛まれて病院に連れて行ったんよ」と、足を広げて腫れ上がった一物を見せてくれ、おぁ~可哀想に! と、ぼくも思わず自分の一物を握りしめてしまいました。

 本日の作陶は30cmの皿を削り、30cmと35cmの皿を挽き上げました。時間は理想にはほど遠いけど、思い描いている形に成るまでに上達しました。でもこれらは全てクラブの電動ろくろを使えないメンバーの下に嫁がせるつもりです。
「君ゐ、ワシは葬式じゃ、アドバイスはしてやれんが、まあ頑張りたまえ」と、クラブの長老、要釉斎先生。ご自身の葬式であるとしゃれ込んだのかと思いきやご近所さんだそうで、なんだつまらない。

 このところの要釉斎先生は、ぼくに対してあんまり口出ししなくなってしまったんですが、代わってママさんがゴチャゴチャ口を出して下さいます。
「メダカを飼うのにもってこいの皿やねぇ。なに、絵を描くぅ? やめときやめとき、赤土に描いたって……」と、えげつないこと言うてくれます。あんたはムカデか!
 これに描くんじゃなくて、本番は半磁器土っていう真っ白い土でこしらえた皿に描くんだよ。半磁器土は難しそうだから、こうやって赤土で練習しているんじゃないか。

 家に帰ったら、産まれたばかりみたいなムカデがウロチョロしてやがる。こんなやつでも、皮膚の柔らかいところ、つまりあの辺りを噛まれでもしたら腫れ上がるんだろうな。涼しくなったころムカデは活躍し始めるんですよね。夏の終わりを告げに来てくれた幼い命は哀れであるけど、一物を守るために昇天してもらいました。さあ、本格的に秋支度しなきゃ。

アッラーよ、クリスチャンを哀れみたまえ

2010年09月15日 | クラシック音楽
 9月11日、アメリカはテネシー州でキリスト教の牧師が、イスラム教の聖典であるコーランを焼いたそうな。その炎で焼き芋して信者たちに食べさせたというのであれば理解できない行為でもないんです。だけど、イスラム教もユダヤ教もキリスト教も同じ神を信仰しているのなら、コーランを焼くというのは自分たちの神を貶めるのにつながる行為じゃないんでしょうか。

「愛ではなく、憎しみの書だ」というのが焼いた理由らしいけど、コーランは新約聖書を下敷きにして書かれたのではなかったですか。ぼくもコーランは読んだことがないので偉そうなことも言えんのですが、キリスト教を肯定しているコーランを焼くってのは、いったいどういう了見?

 ユダヤ教の「目には目を、歯には歯を」や、「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」の教えを実践したというのなら話は分かるんですが、新約聖書には「目には目を歯には歯をというが、右のほほを打たれたら左のほほも向けなさい。上着をよこせという者がいれば下着もやりなさい。あなたの敵を愛し、その者のために祈りなさい」と書かれてあるんじゃなかったかな。

               erbarme dich, allah
               

 プロテスタントであったJ.S.Bachが「神に届け」と作曲した、マタイ伝によるイエスの受難曲中で最も劇的な部分である「ペテロの否認」からアリア「アッラーよ、哀れみたまえ」じゃなく「マイゴッドよ、哀れみたまえ」ですが、なんとアラビックな演奏でしょう! 
 プロテスタントの教会でこの曲が演奏されると教会全体がむせび泣くようになるらしいけど、こうやって聞いてみるとモスクで演奏されても違和感がないように思うのは、我々ブッディストの勇み足でしょうか。

民主党代表選が終わり、こんどは村長選挙

2010年09月14日 | 暮らしの落とし穴
 政治主導という観点から言えば小沢一郎さんの豪腕ぶりにも魅力はあったんですが、やわらちゃんを参議院議員にしてオリンピックの金メダルを一つ減らすかもしれない軽挙妄動に対し、党員・サポーターがNOを突きつけた格好の民主党代表選挙の結果ではありました、かな?

 わが愛媛県では加戸知事が任期を4か月残して退任表明されました。理由は分かりませんが76歳ということもあり、健康上の理由が取りざたされていて、何かがバレそうになったから急いで辞めるというのではないと思います。次期知事選挙の時期を早めることで、特定の候補者に対するアドバンテージを考えたのでもなく、投げ出したのでもないと思います。

 激動の政治状況にあって、わが村では村長さんが一身上の都合を理由に、任期を3か月残して退任表明されたので村人は大わらわです。次期村長選挙に向けて水面下での交渉が活発化しておりますが、立候補者がいない! 
 いくら保守的な田舎村であるとはいえ、おばちゃんが村長(そんな役職は無く、単なる自治会長)になってはいけないという決まりはないのですが、なぜかそういう事例はありません。この土曜日に村長選挙があるんですが、どうなることやら。

食べるラー油の元はパッタイペーストだったのか

2010年09月13日 | 酒、食
 街に出たのでトムヤムペーストを買おうと業務用スーパーに行きますと、トムヤムペーストの横に見たこともない「パッタイペースト」なるものが鎮座ましまして、なんだこりゃ? 非常に興味をそそられるものの、内容量800グラムというのは初めて買うには多すぎる。
 こんな場合は、志を曲げて己が欲求のおもむくままに行動すべきか、それとも初志を貫徹して、ご先祖様が海賊であったかもしれない矜持に従うべきか……と、パッタイペーストの前で5分ほど立ち往生しました。
 やがて「買ってみないことには後悔すらもできないではないか」と、天啓が下り、プチ清水ジャンプを決行すること398円なりぃ~!

 帰ってから真っ先に味見をして、うそだろ? そんなバカな! 流行病にかかったように熱狂していた俺たち、みんな騙されていたのか……。そうなんです、これに少しばかりのラー油を垂らしたら、一躍スターダムにのし上がった「食べるラー油」そのものに変身するのです。
 微笑みの国タイの代表的料理がパッタイ(タイの焼きビーフン)であるといいうのに、タイ料理店に時々出入りしながら気がつかなかったのは迂闊でした。
 食べるラー油は桃やーが開発したのだとばかり思っていましたが、パッタイペーストにごま油と辛子を配合しただけだったとは……桃やーが大きな声で宣伝しなかったはずだ。しかも元がこんなに安いものだったなんて。

限界集落だって祭りはやりたいんだ

2010年09月12日 | 暮らしの落とし穴
 限界集落へ転落寸前、いやもうそうなっているのかもしれない我が村で、今年も何とか秋の祭礼を催すことができそうです。喧嘩用の御神輿を鉢合わせしたり海に放り込んだりと野蛮な行為に沸いたのも今は昔、子供用の御神輿を爺ちゃんたちが軽トラックの荷台に積んでの移動なんて、警察も「練り歩き」とは認定してくれないのです。

 海賊をご先祖に持つ当地で祭の花といえば「櫂伝馬(かいでんま)」で、踊り子が舟の「舟尾(とも)」と「舟首(おもて)」に立って舞うのです。出陣する海賊兵を鼓舞する勇壮な踊り(当村)と、凱旋の優美な踊り(隣村)があって、それぞれに優美と聞いてますが、当事者には隣村の祭りを見ることはかないません。

 祭り囃子といえば笛太鼓と相場が決まってそうなのに、当地では笛は吹きません。村上水軍の資料をひもとくと笛が登場するものの、主役ではなかったかもしれません。
 日本で横笛といえば牛若丸が有名ですが、彼にハンガリー田園幻想曲を吹かせたらぴったり来るんじゃないかと思うんですが、どなたか洒落でやってくれませんかね。というわけでドップラーのフルート曲ですが、この名曲を聴いてフルートを始めた方も多いでしょう。

               Zachary Kellogg: Hungarian Pastoral Fantasy, Part One
               

 12歳でこの演奏とは! ダイナミズムも細やかな情緒表現もできない子どもっぽい演奏といえばそうなんですが、フルートの長さとこの子の足の長さを比べたら分かるように、小さな子どもにとっては真っ直ぐなフルートを構えるのはしんどいんです。バイオリンのように子供用の楽器が存在しないフルートですから、ピッコロで幼いころから練習し、長じてはU型に曲がった頭部管のフルートで練習したんでしょうか。
 にしても、このフルートの頭部管は10Kか14Kのゴールド入りみたいだけど、黒いリッププレートってなに? こんなのフルート初めて見た!

地デジが去ってまた一難

2010年09月11日 | 暮らしの落とし穴
 地デジの映りが中途半端なんてもんじゃなく、NHK教育が映らないとなると総務省に、テレビ見てやらんぞ! そんなごね得がまかり通るものなら通したいけど、「アンテナ建て替えようや」と電気屋さんにそそのかされてしまいました。

 几帳面だった父の嫌いな電気屋さんで、死んだ父に代わり放漫な母の時代になってから出入りするようになったのだとか。
「オヤジはよっぽどあんたのことがきらいじゃったんかいね」と、言わずもがなの減らず口をたたいたぼくとしては、工事代金のプラスアルファーに気を揉まねばいけなくなってしまいました。

 地デジは6局映るようになりました。当地ではこれが限界と言いますし、NHKの総合と教育が映るなら他に見なきゃ気が済まないって局もないのです。ですがCSに関しては今後もしかしたら契約することがあるかもしれません。なので電気屋さんの勧める大きなパラボラアンテナを付けたらBSがいったい何局入るんだ! ショップチャンネルやデータ放送も入るようになったので、ついでにインターネットにも接続してやりました。

 テレビを見ている場合じゃないんですよね。母は自分で料理をせず、カップラーメン、それもカレー味ばっかり食べるようになったので、食事はぼくが作らなくてはいけません。今までのように自分の食べたいものだけを作っているわけにはいかないのです。
 面倒なことは他にも勃発していて、巻き込まれないと仕方ないのか、それともプッツンしている振りしたらやり過ごせないか模索は続いてますが、どうも逃れられそうにありません。年内に腹をくくらねばならないようですorz

昔のタイガーバームには虎の骨が配合されていた?

2010年09月10日 | 暮らしの落とし穴
 お師匠さまが「タイガーバームをお塗りよし」とおっしゃるので買ってみました。ある程度の予備知識はあったものの、ふたを開けるなり、ヲゲゲ~! お師匠さまは「ミントの香り」などと宣うておられますが、そんな甘く涼やかな薫りじゃないのでは。

 ポカリスエットを初めて飲んで騙された気分になった人、初めてコカコーラを飲んで余りにも強い刺激に卒倒しそうになった経験のある人も多いんじゃないでしょうか。ぼくはウーロン茶を初めて飲んで吐きそうになりましたが、タイガーバームを初めて塗って目まいがしそうになったのを思い出しました。

 強烈な匂いをかいで、ずいぶん昔お土産にもらったんだよなと探したら、出てきた出てきた、目まいの元。どうやら香港の永安堂というメーカーのタイガーバームで、紅と白(中味の色)があるうちの白のようです。
 主成分は、樟脳:25パーセント、薄荷油:12.5パーセント、エッセンシャルオイル9.5パーセント、パラフィンとワセリン10パーセント、その他となっていて、今回買った、龍角散が輸入しているのと良く似た成分比です。

 思うに、赤くて小さい缶のこれは日本向けのソフトなタイプじゃなかろうか。というのは、日本のよりもシンガポール製造の方が良く効くらしいのです。おそらく樟脳の含有量の違いから来るものであろうと想像します。強烈な匂いも樟脳とミントによるものでしょうか。

 たしかに肩こりに効きますね、タイガーバーム。その昔、虎の脂を使っているからこんな激烈な匂いがするのだろうと、怖くて使わなかったことが今は悔やまれます。
 豚の脂ならともかく、虎の脂とは我ながらバカバカしい……と思っていたら、最も初期のタイガーバームには『虎骨(ここつ=フーグーと発音)』という漢方薬が実際に配合された(虎骨膏)との噂もあるそうです。しかし虎が絶滅寸前になってしまったので、竜骨(恐竜の化石)などと同じように使えなくなったというのです。(あくまでも噂)

 そのタイガーバームも今や米国の食品医薬品局(FDA)に警告されたりしているのだとか。どうも生産体制が米国の基準を満たしていないらしい。
 海外のと龍角散のタイガーバームの成分が違うのは、海外のには日本の薬事法に抵触する成分が含まれているからだそうです。こんな話を聞いたら、使うかどうか悩みますよね、ね、お師匠さま?