らんかみち

童話から老話まで

アッラーよ、クリスチャンを哀れみたまえ

2010年09月15日 | クラシック音楽
 9月11日、アメリカはテネシー州でキリスト教の牧師が、イスラム教の聖典であるコーランを焼いたそうな。その炎で焼き芋して信者たちに食べさせたというのであれば理解できない行為でもないんです。だけど、イスラム教もユダヤ教もキリスト教も同じ神を信仰しているのなら、コーランを焼くというのは自分たちの神を貶めるのにつながる行為じゃないんでしょうか。

「愛ではなく、憎しみの書だ」というのが焼いた理由らしいけど、コーランは新約聖書を下敷きにして書かれたのではなかったですか。ぼくもコーランは読んだことがないので偉そうなことも言えんのですが、キリスト教を肯定しているコーランを焼くってのは、いったいどういう了見?

 ユダヤ教の「目には目を、歯には歯を」や、「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」の教えを実践したというのなら話は分かるんですが、新約聖書には「目には目を歯には歯をというが、右のほほを打たれたら左のほほも向けなさい。上着をよこせという者がいれば下着もやりなさい。あなたの敵を愛し、その者のために祈りなさい」と書かれてあるんじゃなかったかな。

               erbarme dich, allah
               

 プロテスタントであったJ.S.Bachが「神に届け」と作曲した、マタイ伝によるイエスの受難曲中で最も劇的な部分である「ペテロの否認」からアリア「アッラーよ、哀れみたまえ」じゃなく「マイゴッドよ、哀れみたまえ」ですが、なんとアラビックな演奏でしょう! 
 プロテスタントの教会でこの曲が演奏されると教会全体がむせび泣くようになるらしいけど、こうやって聞いてみるとモスクで演奏されても違和感がないように思うのは、我々ブッディストの勇み足でしょうか。