らんかみち

童話から老話まで

米にもライバル関係があったのか!

2014年12月25日 | 暮らしの落とし穴
 自分を高めるモチベーションとして人にはライバルが必要だ、というのは異論のないところ。我が陶芸クラブには先輩はいたけど、ぼくのライバルになる前に追いつき、追い越してしまった。

 陶芸でライバルがあったとすれば、それはクラブ生え抜きであらせられる要釉斎先生の毒を含んだ舌鋒だったかもしれない。しかしそれも、先生がお歳を召して精彩を欠くに至った。

 要釉斎先生がライバルであったのか、あるいは敵であったのか、ともすると師であったのは今となっては判然としないが、もはや陶芸に向き合うモチベーションはぼくにない。

 年を越す米に欠き、松山三井という米を買いに行った。松山三井は、酒米としてなら山田錦がライバルになるらしいが、食米としてのライバルはないという。かつては日本晴がそうであったけれど、日本晴の衰退とともに松山三井も食米としての輝きを失ったのだという。

 今の米市場はコシヒカリが横綱で、あきたこまちが大関、関脇にヒノヒカリという図式だろうか。激しく追随する逸の城みたいな新参に、ニコマルがいる一方で、コシヒカリには衰退の兆しがあるという。温暖化の影響らしい。
 
 残念ながら松山三井の生産者は「今年が最後の米作り」という。「周辺環境の変化」を理由に挙げていたけど、松山三井のライバルがいなくなったのはもちろん、彼自身のライバルがいなくなったからではないか。
 彼のライバルは夢筑紫を作付けていたけど、惜しまれつつ一昨年をもってやめてしまった。好敵手は常にあらまほしきものなり。