らんかみち

童話から老話まで

田母神論文問題に学ぶ公募術

2008年11月30日 | 童話
 騒がしかった田母神論文問題もようやく沈静化したようですが、民間人の意見にはコメントしない、では議論は進展も後退も無く、せっかく池に石を投げ入れたのにもったいない気がします。
 ぼくの周りには右のスラッガーが多いので、論文が問題になった直後はそりゃあ喧しかったもんです。いわく、「朝日新聞みたいな亡国新聞を読むな」とか、「サンケイ新聞を読んで自虐史観を質せ」と、いろいろとお説をいただきました。
 
 朝日新聞を購読しているのは、文芸関係で外せない欄があってのことなんです。電車通勤していた頃には駅で新聞を買ってましたから、将棋のタイトル戦で棋聖戦がある頃にはサンケイを読み、竜王戦のときは読売、名人戦たけなわなら毎日新聞を読んでました。
 そうやってローテーションを組んで読んでいると、今回の田母神氏の論文の内容については驚くに値しません。サンケイ新聞にはもっと過激な論調の記事だってあります。
 
 問題はどんな立場の人が書いたのかということですが、サウスポーの知り合いが少ないぼくの周りからは、「よくぞ発表してくれた」という意見が多く聞かれます。
 ぼくはそこんとこで居並ぶ右の強打者たちと勝負するつもりは無いんですが、優秀賞に輝いた作品も読んでみたいと思います。ネットでは最優秀賞しか読めないからといって、わざわざ受賞作品集を買わなくても、いつか回ってくるだろうから、それまで待ってます。
 
 なぜ他の作品を読んでみたいか、それは公募における傾向と対策を考える上で、今回の問題は多々参考にすべきところがあると思うからです。審査委員長がどなたなのか、主催するのはどういった団体なのか、どういう作品を欲しているのか等等、大いに考えさせられました。もしぼくが当の公募向けにまかり間違って作品を書いたなら、朝日新聞調の内容を書くといった基本的なエラーをしでかしたかもしれません。
 
 今日は怖い話5枚を書いて送りました。今年文庫に収録されて味をしめた公募です。怖い話を公募しているからといって、何が何でも怖くないといけないのか、それともヒューマニズムの味わいを主催側が期待しているのか、といった判断を下して作品を書き始めるべきなのですが、こちらの公募は目新しい怖さが好まれるようです。その意味では選外でしょうね、怖いだけに終始してしまったのです。