さっぽろ雪まつりが終わったあとの大通公園は、けっこう好きだ。
もっと有効に活用を-という声もあるようだが、年がら年中、やれビアガーデンだ、やれYOSAKOIだ、やれ花フェスタだと、いいだけ使われている大通公園である。
この季節ぐらい、ひっそりと休ませてあげたいと思うのだ。
都心の3丁目あたりだと、園内には、大雪像を取り壊した後の雪山が残り、広い道がついているが、10丁目以西ともなると、ひとりが歩けるほどの踏み分け道しかついていない。
しかし、札幌の市街で、歩道の除雪に本格的に取り組み始めたのは1970年代以降のことであって、それ以前は、勇気ある人物がエイヤっと雪の中を歩いて、それからだんだん歩道が広がっていったのだ。
だから、歩道にはたいてい、おとなひとりぶんの道しかついていなかった。
反対側から人が歩いてくれば、片方が雪の中に身をかわして、もう片方の人に道を譲ったものだ。
踏み分け道には、人と人とのふれあいがあった。
すみずみまで歩道除雪が行き届いたいま、踏み分け道の不便さが、むしろなつかしく感じられてくる。
ないからなのでしょうね。
ところで大通り公園って、中央分離帯
だということを、ご存知でしたか?
(あれっ?このサイトで知ったっけ?)
交通渋滞を緩和する為の一環として、
こんなバカ広い幅にしたとか。
日本で一番、そして圧倒的に集客数が
多い中央分離帯でもあります。
なんか
「大通り公園から見る札幌市の歴史」
が書けそうですね。
明治期、自動車はほとんどなかった一方、建築物の多くは木造でしたから、大火を防ぐことは都市計画で非常に重要でした。大通はなによりもまず、火防線であったのです。
「大通逍遥地」として整備が始まったのは明治後期です。
ご迷惑をおかけします。
そうですよね、自動車の
ない頃から開拓の歴史が
ある訳ですからね。
火防線ですか、建築物と
いえば木造の頃ですよね。
ご指摘、ありがとうございます。
パスティーシュ小説の清水さんとかも間違えて書いているので、かなり広まっている説なのかも?