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画家岸田劉生の軌跡―油彩画、装丁画、水彩画などを中心に 2013年4月26日は4カ所(6)

2013年05月01日 22時09分44秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
(承前)

 2007年、道内では函館と釧路で、岸田劉生展が開かれている。
 そのときも、日動画廊(とその関連施設)の所蔵品がメーンであったが、今回も、07年の際に見た作品がかなりあり、内容を若干変えて構成した展覧会のようである。
 したがって、結論からいうと、この展覧会は「ベスト・オブ・岸田劉生」ではない。あくまで「アウトテイク集」である。
 劉生の最良の部分を知りたければ、国立近代美術館に行って「切通之写生」などを見るしかあるまい。
 もっとも、今回も「自画像」や、「麗子像」シリーズのいちばん最後の作品が来ているので、見て損をする展覧会ではない。
 また、前回と異なる点として、彼が「白樺」や、白樺派の小説家・詩人たちのために描いた装丁画が、たくさん展示されていることが挙げられる。

 ただし、後半は、晩年の劉生が、生活のために描き飛ばした掛け軸や色紙が多く並んでおり、はっきり言って、見る価値はほとんどない。
 ある掛け軸に「雲古 執行」とふざけて書いてあるのを見て、筆者は「こいつ、ほんとにダメだな」と思った。
 いや、「ダメ」と決め付けてはいけないのだ。
 ただ、岸田劉生の短い生涯を振り返ると、近代日本の洋画家が背負わなくてはならなかった悲劇のようなものを感じてしまうのだ。
 このことについては、べつに筆者の独創的な考えではなく、おそらく多くの論者が指摘しているだろうと思うが、西洋が、ルネサンスからキュビスムやフォービスムまで数百年かけた歩みを、日本は大変な短期間で学びなおさなくてはならなかった。しかも、明治の初めに、西洋のアカデミスムを習いかけたのもつかのま、黒田清輝が「アカデミスムと印象派の折衷」という師匠から学んだ絵画が、それ以降の日本の近代絵画の主流となってしまう。
 「それでいいわけ?」と疑問を抱いた岸田劉生は、時計の針を巻き戻すかのように、北方ルネサンスに範をとったリアリズム絵画に取り組むのだが、それも数年のことで、晩年は、この展覧会を見ればわかるように、東洋趣味に低徊する。

 キュビスムやフォービスムには、長い歴史の積み重ねの結果としての必然性がある。
 しかし、近代日本の画家がキュビスムだったりリアリズムだったりすることの必然性は、内面からも、造形言語の面からも、西洋の画家に比べると、どうしても薄くなってしまう。
 岸田劉生がめまぐるしく画風を変えたのも、見方を変えれば、歴史的な必然性を欠いた地点で西洋画を描くことの難しさの反映ではないだろうか。

 それにしても、晩年に東洋に回帰するというのは、いかにも近代日本の芸術家のパターンだなあと思う。


2013年4月12日(金)~6月1日(土)
道立帯広美術館(緑ケ丘2)


(画像は帯広駅前で見たコブシの花。この項続く) 


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