
播州赤穂に行ったときの写真で、子どもの頃に帰ったような風景だ。今の時代は明るく元気でなくてはいけない、暗くて地味なものいけない、負けてはいけない、落ちこぼれてはいけない、ああ、息苦しい。そんな完璧な人間がどこにいるのだろう。負けること、劣ること、暗い気持ちになること、そんな体験を積んでこそ、やさしさやたくましさが生まれるのにと思う。
街角からこんな風景が消えてしまって、身奇麗で清潔な街になり、同時に人がどこかに消えてしまったような気もする。
街角からこんな風景が消えてしまって、身奇麗で清潔な街になり、同時に人がどこかに消えてしまったような気もする。
そう思っている一酔斎です。
寂しい駅だったなぁ
「謎のosakiの旅」ですね。
Yozakuraと申します。
水津氏逝去の報告記事に誘われ、《写真あれこれ》をふと読み返したところ、久しぶりの森信雄ブシに触れ、共感して書き込みます。
こうして、懐かしい風景が日本中から消失・喪失している現象の背後には、様々な事情や事由があるのでしょうが、一番の理由は「全体の動向に、社会の風潮に乗り遅れまい」とする集団的な心理でしょう。人間存在の在り方や、しなやかな生き方などをあれこれと自分の言葉で考えるよりも、先ず、社会の風潮にくっついて生きて往く方が、単純明快で簡単ですからね。
廃業した風呂屋の煙突や、見捨てられたように侘しい----しかし、居住者の個性が自ずと滲み出ている----個人住宅の佇まいの写真などに、心魅かれるものがあります。
今後とも、ご活躍下さい。Yozakura 敬白
これからますます懐かしい風景が失われていきます。それでもかすかに、ひそやかに残されている風景に会いに行きたいと思います。