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森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

赤穂にて

2006-11-16 22:57:06 | 風景を歩く
 播州赤穂に行ったときの写真で、子どもの頃に帰ったような風景だ。今の時代は明るく元気でなくてはいけない、暗くて地味なものいけない、負けてはいけない、落ちこぼれてはいけない、ああ、息苦しい。そんな完璧な人間がどこにいるのだろう。負けること、劣ること、暗い気持ちになること、そんな体験を積んでこそ、やさしさやたくましさが生まれるのにと思う。
 街角からこんな風景が消えてしまって、身奇麗で清潔な街になり、同時に人がどこかに消えてしまったような気もする。
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私の変な持論 (一酔斎)
2006-11-17 09:41:19
『完全な存在』でないから、苦しみ惑いながらも人間は明日を生きる。

そう思っている一酔斎です。
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Unknown (osaki)
2006-11-17 19:07:07
18切符を使ったときに、ここで乗り換えたような?
寂しい駅だったなぁ

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一酔斎様 (モリノブ)
2006-11-18 10:00:58
 曖昧や中途半端な状態に、いかに耐えられるか、それが人間の強さのように思います。反発しない、抵抗しない、開き直らない、それでいて従わない、私のパターンでした。
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osaki様 (モリノブ)
2006-11-18 10:02:17
18切符でどこへ行ったのでしょう?
 「謎のosakiの旅」ですね。
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Unknown (osaki)
2006-11-18 19:33:56
鳥取のゲゲゲの水木さんの所に行ったとき通りました。
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懐かしき風景の喪失に就いて (Yozakura)
2006-12-12 14:19:49
モリノブ様:初めまして

 Yozakuraと申します。
 水津氏逝去の報告記事に誘われ、《写真あれこれ》をふと読み返したところ、久しぶりの森信雄ブシに触れ、共感して書き込みます。

 こうして、懐かしい風景が日本中から消失・喪失している現象の背後には、様々な事情や事由があるのでしょうが、一番の理由は「全体の動向に、社会の風潮に乗り遅れまい」とする集団的な心理でしょう。人間存在の在り方や、しなやかな生き方などをあれこれと自分の言葉で考えるよりも、先ず、社会の風潮にくっついて生きて往く方が、単純明快で簡単ですからね。

 廃業した風呂屋の煙突や、見捨てられたように侘しい----しかし、居住者の個性が自ずと滲み出ている----個人住宅の佇まいの写真などに、心魅かれるものがあります。
 今後とも、ご活躍下さい。Yozakura 敬白
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Yozakura様 (モリノブ)
2006-12-12 15:06:41
 懐かしい風景の喪失は、人の潤いの喪失であるかもしれません。社会の動向に乗り遅れまいとする集団的な心理、なるほどそういうことなのでしょうね。
 これからますます懐かしい風景が失われていきます。それでもかすかに、ひそやかに残されている風景に会いに行きたいと思います。
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