昨日の三田スケート場跡は、大坂峠を越えて、宝塚から三田に抜ける通り道にある。以前から気になっていた廃墟だが、九州のボタ山を探索に行ったときの雰囲気と通じるものがあった。こういう感覚に興味の無い人には、全く無関心だろうと思う。人間の感性の違いは、及びもつかぬ考えの差があるものなのだ。
昔、先輩の某棋士に私があれこれしゃべった後で、「ところで森さん、きれいごとはいいから本音はどうなの?」と聞かれてぶったまげたことがある。「わたしは本音ですよ」と言ってもとりつくしまもなかった。誤解は理解の果てにくる、そんな言葉はないのだが、つくづくそう思うのだ・・
廃墟は荒れ果てた姿をさらしているが、人間の行為のむなしさ、はかなさを見るような気がするのだ。
昔、先輩の某棋士に私があれこれしゃべった後で、「ところで森さん、きれいごとはいいから本音はどうなの?」と聞かれてぶったまげたことがある。「わたしは本音ですよ」と言ってもとりつくしまもなかった。誤解は理解の果てにくる、そんな言葉はないのだが、つくづくそう思うのだ・・
廃墟は荒れ果てた姿をさらしているが、人間の行為のむなしさ、はかなさを見るような気がするのだ。