平成25年の「広島蝋燭薪能」は真夏日の昨日、750名満席のお客様をお迎えして無事盛会に終わりました。
撮影 潮 康史氏
これもひとえに、ご来場いただきました皆様のお陰と篤く御礼申し上げます。有難うございました。
広島蝋燭薪能実行委員会副会長の久保田育造氏と 撮影 潮 康史氏
満席のお客様にご挨拶される藤本宮司
護国神社お手製の広島蝋燭薪能のチラシ、写真のシテは私だった!
能『羽衣』 . . . 本文を読む
昨日、興福寺の南円堂(重文)と北円堂(国宝)をご紹介したが、これら円堂と呼ばれる建物は、実はまん丸ではなく八角形である。昔の人は八角形も丸だと思っていたのだろうか。六角形、八角形、十二角形と角が多くなればなるほど内角が大きくなり、全体は円に近づいていく。だから、八角形を丸く錯覚したとしても不思議ではなく、八角堂といわずに円堂としたのも、まろやかでよいかもしれない。
まあ、こんなことは、どうでもいい . . . 本文を読む
興福寺の国宝南円堂・北円堂が特別公開(4月12日~6月2日)されている。二つのお堂が同時に公開されるチャンスはそうないだろう。これは見逃せないと、私も先日拝見してきた。
南円堂には康慶作の「不空羂索観音菩薩坐像(ふくうけんさくかんのんぼさつざぞう)」と「四天王立像」があり、北円堂には康慶の子、運慶作の「弥勒如来坐像」を中心に脇侍に「法苑林菩薩像(ほうおんりんぼさつぞう)」と「大妙相菩薩像(だいみ . . . 本文を読む
25年5月5日、平喜多会の稽古後、3・11東日本大震災の影響がどのようなものだったのか、今どれぐらい復興しているのかを写真探訪して来ました。「国宝・白水阿弥陀堂」からはじまり、日本一みすぼらしい資料館と現地の人が言われる「みろく沢炭鉱資料館」、小名浜漁港の旅館「新よね」、海岸を北上して、合磯や豊間の海水浴場だった海岸線の住宅地、美空ひばりの「みだれ髪」で歌われる「塩屋崎灯台」、県立自然公園と称され . . . 本文を読む
「洋食と和食どちらにしますか?」と聞かれたら「和食で」と即答する。
特に無類の鮨好きだが、それは何故か? 食べる順番を自分で自由に決められるからだ。
「まずはつまみからお出しします、最後ににぎりとなります」と決めつけのお店も中にはあるが、そのようなところには極力行かないようにしている。自由が利く店が気持ちよく食べられる。
さて、和食には「会席」と「懐石」がある。酒を楽しむ料理が「会席料理」で . . . 本文を読む
ゴールデンウイーク5月3日と4日は、4年ぶりの福島県いわきの「平喜多会」の稽古に伺いました。ご当地でごご指導されている山崎慶一氏は、故・後藤得三と父の二人の人間国宝に習われ、80代とは思えない矍鑠たる現役指導者でいらっしゃいます。現在も多くの喜多流愛好家の指導にあたられています。
山崎慶一氏
二日目の稽古の後に、有志の懇親打上会があり、その時の記念撮影をご紹介します。
今回、山崎慶一氏にお . . . 本文を読む
小さな青虫が大きな青虫になることは成長とは言わない。なぜなら能力にあまり差がないからだ。さなぎが蝶に変化してこそ成長と言える。
今年から喜多流「青年能」に私の教え子の佐藤陽も同人入りして、メンバーは塩津圭介君を筆頭に佐藤寛泰君、そして今年から大学に入学した谷友矩君と高林昌司君も入り、総勢5人態勢となり、これから活動していくことになった。
同人に入れる条件なのか、「高校を卒業したので晴れて入会さ . . . 本文を読む
車に水槽を取り付け、生きた魚を水槽に泳がせ消費者に届ける業者がある。生きた魚を死なせないために工夫がほどかされている。
さてどんな方法かな?
それは天敵を水槽に入れる方法。魚は喰われてはたいへんと終始逃げ回るので死なないと言う。逃げ回る緊張感が活きのよさを生む。もちろん天敵は満腹の状態にさせておかないといけない。本当に食べてしまったらシャレにならないから。
能でも同様。本来楽屋には年長者か . . . 本文を読む
舞うことも好きだった父だが、晩年は謡の大事さを説いていた。
父の謡は強く固く重厚な感じで、声量がありながら繊細な節扱いで謡の味わいを醸し出していた。強靱ながら柔和、そんなふたつを両立して詞章に乗せた謡であった。そして音域が広く、出だしの音を決めるのがうまかった。周りで一緒に謡う者がとても謡いやすく、「謡っていて、ついつい楽しくなる」と感想が聞えてきた。今これほどの雰囲気を出せる人は残念ながら喜多流 . . . 本文を読む
車内や機内で座っていると、いきなり前の人の背もたれが倒れて来る時がある。それも一気に目一杯後ろまで倒してくる。あれは気分が悪い。
「すみません。倒させていただきます」「倒してもいいですか?」と一言挨拶があれば、まだ我慢出来るが、いきなりバターンは自分の空間を占領されたみたいで、損をした気になる。
「倒れるように作ってあるのだからいいじゃないか。どうしようと俺の自由勝手だろう」と言わんばかりに目 . . . 本文を読む