車内や機内で座っていると、いきなり前の人の背もたれが倒れて来る時がある。それも一気に目一杯後ろまで倒してくる。あれは気分が悪い。
「すみません。倒させていただきます」「倒してもいいですか?」と一言挨拶があれば、まだ我慢出来るが、いきなりバターンは自分の空間を占領されたみたいで、損をした気になる。
「倒れるように作ってあるのだからいいじゃないか。どうしようと俺の自由勝手だろう」と言わんばかりに目一杯後ろに倒す人、老若男女関係ないようだ。
私は倒すな!と言いたいのではない。目一杯が気に入らないのだ。せいぜい八分目までぐらいにしておくのがマナーだろうと思う。体調が悪いなら仕方がないが、そうではないなら100%目一杯倒すものではないと思う。そう作られていてもだ。私はそうしている。
能の型でシカケ・ヒラキという抽象的な動きがある。少し前に出ながら両手を前に合わせる動きを「シカケ」と言い、合わせた両手を左右に横に広げる動きを「ヒラキ」と呼ぶ。
「シカケ」は物を集める、集中させるイメージで、「ヒラキ」は集めたものを分散するイメージだ。
その「ヒラキ」の両手を動かす度合いだが、両手を目一杯に真横に広げてはいけない。
真横まで動かすとやり過ぎになる。背もたれの100%と同じようによくない。
次の二枚の写真は悪いヒラキだ。
つまり型には余白部分が必要で、その余白が想像の手助けをしてくれる。余白はまだまだ広がるだろうな~と奥行きを感じさせる。両手を真横まで広げてしまうと、一見広がりをより多く感じると思うかもしれないが、それは間違い。目一杯はだめなのである。
能楽師の良し悪しの判断基準として、目一杯両手を広げていたら、イマイチ!と思っていただいて構わない。目一杯広げる、目一杯倒す、共に気分が悪くなる行為だ、私には。
これはマナーの問題というよりは美意識になるかもしれないが、共通な美意識を持つ人が増えればよいと思っている。
写真 モデル 粟谷明生
文責 粟谷明生
「すみません。倒させていただきます」「倒してもいいですか?」と一言挨拶があれば、まだ我慢出来るが、いきなりバターンは自分の空間を占領されたみたいで、損をした気になる。
「倒れるように作ってあるのだからいいじゃないか。どうしようと俺の自由勝手だろう」と言わんばかりに目一杯後ろに倒す人、老若男女関係ないようだ。
私は倒すな!と言いたいのではない。目一杯が気に入らないのだ。せいぜい八分目までぐらいにしておくのがマナーだろうと思う。体調が悪いなら仕方がないが、そうではないなら100%目一杯倒すものではないと思う。そう作られていてもだ。私はそうしている。
能の型でシカケ・ヒラキという抽象的な動きがある。少し前に出ながら両手を前に合わせる動きを「シカケ」と言い、合わせた両手を左右に横に広げる動きを「ヒラキ」と呼ぶ。
「シカケ」は物を集める、集中させるイメージで、「ヒラキ」は集めたものを分散するイメージだ。
その「ヒラキ」の両手を動かす度合いだが、両手を目一杯に真横に広げてはいけない。
真横まで動かすとやり過ぎになる。背もたれの100%と同じようによくない。
次の二枚の写真は悪いヒラキだ。
つまり型には余白部分が必要で、その余白が想像の手助けをしてくれる。余白はまだまだ広がるだろうな~と奥行きを感じさせる。両手を真横まで広げてしまうと、一見広がりをより多く感じると思うかもしれないが、それは間違い。目一杯はだめなのである。
能楽師の良し悪しの判断基準として、目一杯両手を広げていたら、イマイチ!と思っていただいて構わない。目一杯広げる、目一杯倒す、共に気分が悪くなる行為だ、私には。
これはマナーの問題というよりは美意識になるかもしれないが、共通な美意識を持つ人が増えればよいと思っている。
写真 モデル 粟谷明生
文責 粟谷明生
シエア有難うございます。