25年5月5日、平喜多会の稽古後、3・11東日本大震災の影響がどのようなものだったのか、今どれぐらい復興しているのかを写真探訪して来ました。「国宝・白水阿弥陀堂」からはじまり、日本一みすぼらしい資料館と現地の人が言われる「みろく沢炭鉱資料館」、小名浜漁港の旅館「新よね」、海岸を北上して、合磯や豊間の海水浴場だった海岸線の住宅地、美空ひばりの「みだれ髪」で歌われる「塩屋崎灯台」、県立自然公園と称されながらも自然のおそろしさを目の当たりにした「磐城海岸県立自然公園」、最後は四倉や波立などの海岸を訪ねました。
では写真で紹介します。
白水阿弥陀堂。橋からの全景です。
正面が本堂。震災の影響を受けながらも仏像に大事はありませんでしたが、ライフラインがストップしたため、一時、拝観中止となっていました。24年からまた、朝は8時半から拝観出来るようになりました。
阿弥陀堂の説明が書かれた案内板。
10~20ミリ広角レンズにて人物を試し撮り。撮影者は被写体から1メートルほどの近距離で撮影。
白水阿弥陀堂裏山にある「みろく沢石炭資料館」は元養鶏場を改築したもので、「世界一粗末な資料館」として現地の人から紹介されたので試しに行って来ました。ガイドさんはウソを言う人ではありませんでした。しかしたとえ粗末でも、こういう事実があったことを残しておきたかった思いなのでしょう、なにしろ無料なので何も余計なことは言えませんでした。
黒い部分が石炭です。当時炭鉱夫は男子も女子も暑いので素っ裸で石炭を掘ってようで、裸体の女性の写真が資料館にありましたのでご覧になりたい方はいらして下さい。
東北大能楽部が夏合宿で利用していた旅館「新よね」。当時波に呑み込まれる映像が流れていたのでとても心配していましたが、今は営業再開されています。しかし稽古場として拝借していた舞台のある大広間は工事中でした。廊下の壁を見上げると天井までシミがあり、海水が流れ込んで来たおそろしさの証を見るようでした。
昼食は列が出来る「うろこいち」。「震災で大打撃の影響を受け、もう営業は無理かと思っていましたが、皆様のお力添えでどうにか営業再開となりました」と、店内に張り紙がしてありました。
永崎海水浴場から塩屋崎灯台に移動中。道路標識の柱は折れたまま、道路の端は崩れ落ちている個所を通ることになりました。
合磯海水浴場の前の住宅地はなに一つ残っていませんでした。
家の土台のみ。遠くに見えるのは塩屋崎灯台です。
墓石は散乱し、手つかず状態でした。
このブロック塀だけが残っていました。
現在、灯台には上がれなくなっています。コンクリートの石壁の半分の高さまで波が来ている模様が、岬のおみやげ屋で写真展示されています。
ここにいると美空ひばりの歌声が流れてきます。歌碑のボタンを押すと「みだれ髪」が聞こえるようになっているのです。この辺りも完全に波に襲われたといいます。
波立(はったつ)海岸の弁天島・鰐ヶ淵へ渡る橋は津波被害のため立入禁止でした。
以前は近くで見られた赤い鳥居も、今は遠景を楽しむだけとなりました。
渡れない橋。
四倉(よつくら)港の道の駅には津波被害にあった漁船が沢山山積みされています。
あまりの多さに手つかず状態、とても悲しい気持ちになりました。
今回、いろいろなところを写真探訪して、まだまだなにも手つかずのところが多々あることがわかりました。今後の迅速な復興支援を! と感じた「いわき周辺」のミニ写真探訪でした。
追加資料「白水阿弥陀堂案内」
写真撮影 粟谷明生
文責 粟谷明生
では写真で紹介します。
白水阿弥陀堂。橋からの全景です。
正面が本堂。震災の影響を受けながらも仏像に大事はありませんでしたが、ライフラインがストップしたため、一時、拝観中止となっていました。24年からまた、朝は8時半から拝観出来るようになりました。
阿弥陀堂の説明が書かれた案内板。
10~20ミリ広角レンズにて人物を試し撮り。撮影者は被写体から1メートルほどの近距離で撮影。
白水阿弥陀堂裏山にある「みろく沢石炭資料館」は元養鶏場を改築したもので、「世界一粗末な資料館」として現地の人から紹介されたので試しに行って来ました。ガイドさんはウソを言う人ではありませんでした。しかしたとえ粗末でも、こういう事実があったことを残しておきたかった思いなのでしょう、なにしろ無料なので何も余計なことは言えませんでした。
黒い部分が石炭です。当時炭鉱夫は男子も女子も暑いので素っ裸で石炭を掘ってようで、裸体の女性の写真が資料館にありましたのでご覧になりたい方はいらして下さい。
東北大能楽部が夏合宿で利用していた旅館「新よね」。当時波に呑み込まれる映像が流れていたのでとても心配していましたが、今は営業再開されています。しかし稽古場として拝借していた舞台のある大広間は工事中でした。廊下の壁を見上げると天井までシミがあり、海水が流れ込んで来たおそろしさの証を見るようでした。
昼食は列が出来る「うろこいち」。「震災で大打撃の影響を受け、もう営業は無理かと思っていましたが、皆様のお力添えでどうにか営業再開となりました」と、店内に張り紙がしてありました。
永崎海水浴場から塩屋崎灯台に移動中。道路標識の柱は折れたまま、道路の端は崩れ落ちている個所を通ることになりました。
合磯海水浴場の前の住宅地はなに一つ残っていませんでした。
家の土台のみ。遠くに見えるのは塩屋崎灯台です。
墓石は散乱し、手つかず状態でした。
このブロック塀だけが残っていました。
現在、灯台には上がれなくなっています。コンクリートの石壁の半分の高さまで波が来ている模様が、岬のおみやげ屋で写真展示されています。
ここにいると美空ひばりの歌声が流れてきます。歌碑のボタンを押すと「みだれ髪」が聞こえるようになっているのです。この辺りも完全に波に襲われたといいます。
波立(はったつ)海岸の弁天島・鰐ヶ淵へ渡る橋は津波被害のため立入禁止でした。
以前は近くで見られた赤い鳥居も、今は遠景を楽しむだけとなりました。
渡れない橋。
四倉(よつくら)港の道の駅には津波被害にあった漁船が沢山山積みされています。
あまりの多さに手つかず状態、とても悲しい気持ちになりました。
今回、いろいろなところを写真探訪して、まだまだなにも手つかずのところが多々あることがわかりました。今後の迅速な復興支援を! と感じた「いわき周辺」のミニ写真探訪でした。
追加資料「白水阿弥陀堂案内」
写真撮影 粟谷明生
文責 粟谷明生