またまた、投稿のほうがご無沙汰になってしまい申し訳ありません。
仕事の方も今日やっと落ち着きましたので、若干ではありますが投稿させていただきたいと思います。
まずは先日、盛岡から来たキハ52とちほく高原鉄道の車両が千鳥町の埠頭に留置されていると述べましたが、さきほど夕方確認したところ、これらの車両の姿は見られませんでした。おそらく出港したものだと思われます。また8610Fと8039Fの計16両ですが、相変わらず留置されておりました。
私のインドネシアの友人の話しによりますと、来週にはこれらの車両がジャカルタに到着する予定とは言っていますが、本当のところどうなんでしょうか。少なくとも約2週間ぐらいはかかると思いますので、到着予定がわかりしだいご報告したいと思います。
話しは変わりますが、南武線の話題が最近ご無沙汰でしたので、南武線の103系の話題を提供させていただきたいと思います。(また103系で申し訳ありません)
他の掲示板にてすでに掲載しておりますが、南武線に初めて103系が運行された当時の話題についてご報告します。私がまだ高校生だった昭和57年から60年にかけて、南武線を利用して通っておりました。南武線を利用はじめた昭和57年の5月までは全車101系に統一されておりましたが、6月に待望の103系が豊田区から中原区に転入しました。この豊田区から中原区に転入した103系は中央線快速の201系化により、主に3+7の編成を玉突きで転配させたもので、昭和57年6月から翌年の3月まで71両が大量に転入し、中原区の101系非冷房車を取り替えると同時に南武線の冷房化率を大幅に引き上げました。
この103系転入劇の頃のことは今でも鮮明に覚えておりますが、まず昭和57年6月11日付けでT'c526が黄色に塗り替えて1両だけ転入し、転入当初は中原区の一番南側の留置線に停泊し、その後武蔵中原駅近くに移動し、方向幕がなぜか奥多摩や小机と表示されており、他の路線の行き先表示がまだ入っておりました。その後6月16日付けでMc121 M'260が黄色に塗り替えて転入し、先程のT'c526と3両編成を組成したかと思われます。7月に入るとMc57 M'157が6日付けで転入し、T'c528が17日付けで転入し、これらの3両も黄色に塗り替えられておりました。
是非103系の初営業に乗車してみたいと思い、今では絶対に行っていけない行為ではありますが、中原区に103系の初営業の時期を尋ね教えていただきました。
南武線103系の初営業は7月23日夕方の1740デから充当され、編成はMc121 M'260 T'c526 Mc57 M'157 T'c528の3+3編成で、全車黄色で登場しました。私も武蔵中原駅まで行って、この103系に初乗車したのですが、車内が101系と違って扉の上にも蛍光灯が設置されているせいか明るく感じ、CPもC2000であることや電動機がMT55であるため、京浜東北と同じだと1人で感動しておりました。また、乗務員の方も103系初営業のためか3人程度乗務され、特にヘッドマークもなく静かな南武線103系の幕開けとなりました。(一般の方には101系と103系の区別はできませんが)
この夕方41運用ですが、武蔵中原~川崎~登戸~回送~宿河原停泊という短い運用から充当され、私も登戸まで乗車させていただきました。この日の思い出は一生忘れられない出来事でしたが、平成16年12月16日朝の05運用の103系の最後も乗車し、さよならのヘッドマークもなく、この最後の運用で武蔵中原駅到着間際にも車掌から、ねぎらいの言葉やお別れの挨拶もあるかと思いきや、なにもなく静かに去ってしまった時には、本当に悲しい思い出となってしまいました。(本当にこの時は私の人生も終わったかと思いました)
とにもかくにも103系は南武線では22年間活躍したのですが、この間いろいろと感動する出来事もありましたので、103系の感動の思い出については、後日掲載させていただきたいと思います。
写真は中原区から出庫し、初めて103系が運用につくシーンを撮影したものです。(撮影が下手で申し訳ありません)
仕事の方も今日やっと落ち着きましたので、若干ではありますが投稿させていただきたいと思います。
まずは先日、盛岡から来たキハ52とちほく高原鉄道の車両が千鳥町の埠頭に留置されていると述べましたが、さきほど夕方確認したところ、これらの車両の姿は見られませんでした。おそらく出港したものだと思われます。また8610Fと8039Fの計16両ですが、相変わらず留置されておりました。
私のインドネシアの友人の話しによりますと、来週にはこれらの車両がジャカルタに到着する予定とは言っていますが、本当のところどうなんでしょうか。少なくとも約2週間ぐらいはかかると思いますので、到着予定がわかりしだいご報告したいと思います。
話しは変わりますが、南武線の話題が最近ご無沙汰でしたので、南武線の103系の話題を提供させていただきたいと思います。(また103系で申し訳ありません)
他の掲示板にてすでに掲載しておりますが、南武線に初めて103系が運行された当時の話題についてご報告します。私がまだ高校生だった昭和57年から60年にかけて、南武線を利用して通っておりました。南武線を利用はじめた昭和57年の5月までは全車101系に統一されておりましたが、6月に待望の103系が豊田区から中原区に転入しました。この豊田区から中原区に転入した103系は中央線快速の201系化により、主に3+7の編成を玉突きで転配させたもので、昭和57年6月から翌年の3月まで71両が大量に転入し、中原区の101系非冷房車を取り替えると同時に南武線の冷房化率を大幅に引き上げました。
この103系転入劇の頃のことは今でも鮮明に覚えておりますが、まず昭和57年6月11日付けでT'c526が黄色に塗り替えて1両だけ転入し、転入当初は中原区の一番南側の留置線に停泊し、その後武蔵中原駅近くに移動し、方向幕がなぜか奥多摩や小机と表示されており、他の路線の行き先表示がまだ入っておりました。その後6月16日付けでMc121 M'260が黄色に塗り替えて転入し、先程のT'c526と3両編成を組成したかと思われます。7月に入るとMc57 M'157が6日付けで転入し、T'c528が17日付けで転入し、これらの3両も黄色に塗り替えられておりました。
是非103系の初営業に乗車してみたいと思い、今では絶対に行っていけない行為ではありますが、中原区に103系の初営業の時期を尋ね教えていただきました。
南武線103系の初営業は7月23日夕方の1740デから充当され、編成はMc121 M'260 T'c526 Mc57 M'157 T'c528の3+3編成で、全車黄色で登場しました。私も武蔵中原駅まで行って、この103系に初乗車したのですが、車内が101系と違って扉の上にも蛍光灯が設置されているせいか明るく感じ、CPもC2000であることや電動機がMT55であるため、京浜東北と同じだと1人で感動しておりました。また、乗務員の方も103系初営業のためか3人程度乗務され、特にヘッドマークもなく静かな南武線103系の幕開けとなりました。(一般の方には101系と103系の区別はできませんが)
この夕方41運用ですが、武蔵中原~川崎~登戸~回送~宿河原停泊という短い運用から充当され、私も登戸まで乗車させていただきました。この日の思い出は一生忘れられない出来事でしたが、平成16年12月16日朝の05運用の103系の最後も乗車し、さよならのヘッドマークもなく、この最後の運用で武蔵中原駅到着間際にも車掌から、ねぎらいの言葉やお別れの挨拶もあるかと思いきや、なにもなく静かに去ってしまった時には、本当に悲しい思い出となってしまいました。(本当にこの時は私の人生も終わったかと思いました)
とにもかくにも103系は南武線では22年間活躍したのですが、この間いろいろと感動する出来事もありましたので、103系の感動の思い出については、後日掲載させていただきたいと思います。
写真は中原区から出庫し、初めて103系が運用につくシーンを撮影したものです。(撮影が下手で申し訳ありません)
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