Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

空からフィリピンを見てみよう

2013年09月11日 14時49分10秒 | フィリピン
先日のお約束どおり、本日は飛行機の中からいろいろと景色を楽しめましたので、「空からフィリピンを見てみようと」題して、いくつかの写真をお見せしたいと思います。
今回は先日も述べましたように台北をベースとするチャイナエアラインを利用しましたので、成田~台北(桃園)、台北(桃園)~マニラの路線を使いましたが、成田~マニラ間をダイレクトに飛んでしまうと窓の外はほとんど海しか見えませんが、両区間ともに海岸沿いを飛びますので、ある程度地理や地図好きな方であれば、景色を十分楽しむことができます。
私にとっては空の旅でも景色を見ることは1つの楽しみですが、小心者の私にとってはトイレに行く場合、窓側の席に座ってしまうと通路側の席や場合によって中央席の乗客に断る必要がありますので、よっぽどのことがないかぎり、いつも通路側の席を取ることにしています。
しかしながら、先日、マニラ~台北間を利用する際、通路側は空きがないとのことで進行方向右側の窓側に座ることになったのですが、これが私にとってはラッキーでした。
CI702便はマニラを定刻10:35に出発し、マニラ空港を飛び立ち、機体はCaviteの砂嘴が見えた所で大きく右に旋回を始めました。100度ほど右に旋回したのち北に進みましたが、すると眼下にマニラ湾とマニラの街を見渡すことができました。

順に説明しますと、下の写真はマニラの中心地にある城壁都市のIntramuros、フィリピンの英雄であるホセ・リサールが処刑された場所でもあるRizal(Luneta) Park、マニラの母なる川Pasig Riverなどが見えました。


続いて下の写真ですが、右下の赤い建物が見えるところが、以前のPNR(フィリピン国鉄)のTutuban駅です。現在はTutuban Center Mallという商業施設になっており、その左側(北側)の緑がTutubanのヤード付近でその右側(南側)にぽつんとある赤い四角の建物がTutuban駅です。


さらに北側に進むとPNRのデルタ線(三角線)が見えました。上側(東側)がBlumentritt駅、左側(北側)に延びる線路がCaloocan方面になります。


続いて、Caloocanの中心地、Monumento付近です。
LRT1号線はフィリピンのヒーローの1人であるAndres Bonifacioの銅像付近で針路を北から東に90度曲がり、North Ave.方面へと向かいます。
私が思うにはLRT1号線はこの銅像の真上を越えて、Navotas方面へと向かった方が良いのではないかと思っていましたが、Andres Bonifacioの持っているitak(刀)で線路を切られるのが怖いのか、見事に線路を90度曲げられてしまいました。
写真の下にPNRのCaloocan工場が見えます。


先程のLRT1号線Monumneto駅近くにあるAndres Bonifacioの銅像は下の写真のとおりです。
Andres Bonifacioはマニラの貧困地域のTondoで生まれ、学歴はありませんが貧しい中、独学で勉学に勤しむとともにスペインの植民地支配から解放されるために秘密結社「Katipunan」を創設しました。しかしながら、同じく植民地支配から独立を目指し、のちにフィリピン初代大統領になるEmilio Aguinaldoによって彼の離反を恐れ処刑されてしまいました。


このあと、機体は高度を上げ、下界の視界は雲だらけになりましたが、40分ほどでルソン島最北端付近のClaveria付近に至りました。
今から約20年前の1994年、私はここで3日ほど滞在したことがあります。


下の写真は当時のClaveria付近で撮影したもので、モノクロ写真のためセピア調に変えてみましたが、この周辺は水田などが広がる農業中心の地域であります。


ここからバシー海峡を越えて、台湾島南端の鵝鑾鼻を目指します。
先程のルソン島Claveriaから約20km北側にFuga島が位置すます。20年前のClaveria滞在時において、ルソン島からこの島を眺めることはできませんでした。


更に先程の島から10km北上するとDarupiri島が位置します。
天気図を書く人であればおなじみのBatanes Province州のBascoは飛行機の航路から少し東に位置しますので、残念ながら見ることはできませんでした。


先程ご紹介したBascoは1994年に行きましたが、とても静かな地域であります。
私が滞在していた時に台湾人の実業家が自家用飛行機で仲間を引き連れて訪れたのですが、この方は日本人と変わらぬ日本語を話し、シベリア鉄道で旅行された話しを今でも記憶しています。
また、沖縄県の先島諸島からここまで直線距離で僅か約500kmと近いことから、夜間、宿の従業員からラジオを拝借し、日本からのラジオ放送を聞いて感動したことを思い出します。


いかがでしたでしょうか。いつも鉄道の話題ばかりですが、今から20年前にフィリピン全土の旅をしたことがありますので、フィリピンの各地の話しも時間がありましたら、このブログ上でお届けしたいと思っております。



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5 コメント

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空からでなく海を… (あさぎり)
2013-09-27 00:05:20
こんばんは。記事を興味深く拝見させて頂きました。
さて懸案であった埼京205系につき動きが出てきました。先週今週と宮ハエから高崎までハエ15とハエ7が自走し高崎からEF81が新津車両製作所まで配給しました。そして一昨日か昨日にハエ15が新潟東港に到着済みで積込待ちのようです。漸く輸出が始まります。
また横浜線E233の営業開始が当初より前倒しで来年2月からになるようです。となると横浜205の離脱も早まります。横浜205は埼京205の180両とは別にKCJ譲渡の件が取り沙汰されると思われます。
国内譲渡についてはいくつか話は聞くのですがまだ噂レベルの域を出ません。地方私鉄も主要な会社は東急車などで置換を進めています。
記事から離れたコメントで恐縮ですが205系のKCJ譲渡の動きはこちらのブログでも話題のテーマと思いご一報まで。今後の進行に注目したく思いますm(_ _)m
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海を越えて活躍が期待される205系 (井上)
2013-09-28 21:11:50
あさぎり様、こんばんは。
205系の情報、どうもありがとうございます。
205系の海上輸送等を担うと思われるJAGRO TRANSのウェブサイトから205系の輸送に関してニュースが削除されており、かつ動きが全くありませんでしたので、結果的に破談に終ってしまったのではないかと危惧しておりましたが、最近になって埼京の205系が新潟東港に搬出され、あとは船に積み込むのを待つ段階となり、私としてもホッとしているというか嬉しいかぎりです。
KCJの入札説明にも記載されていたように今後は1度に30両を船に積み込み、毎月のように搬出作業が実施されるものと推測しておりますが、今後はメトロ軍団に迫る一大勢力になるのではないかと期待しており、かつ救世主になるのではないかと想像しております。
また、新潟東港に搬出された編成は1編成に2両の6扉車も含まれており、10両編成として使用する場合は、当然この6扉車も含めて組成されると思われますが、8両編成として使用される場合、この6扉車も含めて組成されるのかどうか気になるところでもあります。
続いて、横浜線に来年2月からE233系が導入されることになり、205系の去就が注目されていますが、その後の来年7月に南武線にもE233系が導入されることから、合計約400両の205系が余剰となり、地方のローカル線で使用されるのか、さらにKCJに譲渡されるのか、私としても注目しております。
また、何か動きがありましたら、このブログでも紹介させていただきたいと思いますし、最初の205系が現地に到着する頃、もしくは転入整備が実施されている頃にでも話題を提供できるよう遠征を計画しております。(マニラ経由になると思いますが)
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Unknown (さくら)
2013-10-28 06:45:10
写真ありがとうございます。
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Unknown (あさぎり)
2013-11-04 21:18:52
井上様こんばんは
さて、埼京205系の件ですが漸く先陣の3編成30両が現地に到着したようですね。
国内では先日中間車のみの9両が長野に配給されましたが、その後の長野配給は高崎211系に再び移行しました。
輸出予定の18編成が全て6ドア車込みの編成とすれば今後は自力で高崎の後機関車牽引で新津という流れが頻繁に行われるでしょう。
今後は横浜南武の205系についても処遇が注目されますが、現地では1000両近くの通勤車両を調達する計画と聞きます。
以前に申し上げたかもしれませんがVVVFに換装した武蔵野の205系がジャカルタ側にどう評価されているかは興味あるところです。
ジャカルタ側がこの手のVVVF車に対応できれば輸入候補の種車には困らないと思います。
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205系、ジャカルタに到着 (井上)
2013-11-06 19:50:42
あさぎり様、205系、ジャカルタ到着の情報、どうもありがとうございます。
到着以前に現地のマニアから情報をいただいておりましたが、予定どおり先日3日に無事に到着し、私もFacebookなどで到着を確認しました。
今後は怒濤のように送られる205系180両の転入整備を急速的に進めると思われますが、電力事情や車両の収容スペース、列車の有効長の問題などありますので、これらの問題を解決しつつ、今後も205系が譲渡されるのか注目しております。また、ジャカルタ譲渡から15年近くにもなろうとしている都営6000形、去就が気になる103系が205系軍団のジャカルタ進出によってエコノミーの車両と同様な運命になってしまうのではないかと少々危惧しておりますが、新参者に負けないぐらい、今後も長く活躍してほしいと願っております。
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