村役場の宿直春秋抄(17)
収入役
六月三日付けで「収入役」と題した項がある。しかしこの日づけは明らかに七月三日の誤りだ。六月十日の筆録に「六月の月に入り、始めて宿直をなす」とあるではないか。なによりも六月二十七日の項と七月六日の項の間に書かれている。それでも、この日録帳の順序に従ってここで採り上げる。
さて、この筆録で意外な事実に接する。「足掛け六年書記を勤め、耳疾に因りて一旦退職した余はまったく官辺に身を置くことは断念した」という状態にあったのだ。
ところが「去年の秋、(現職の)収入役が召集せられた。それは村の収入役としてよりも国家のために少尉の必要がより甚だしいためなり」と事態が一変する。そうしたいきさつから「その際、余は自宅で静養せりが村長の勧めにて不本意ながら役場に逆戻り、収入役の椅子に就いた」
先に制定された町村制の規定に「収入役ハ町村長ノ推センニ依リ町村会之ヲ選任ス」とある。収入役といえば村長、助役に次ぐ顕職である。耳の不具合で退職したにもかかわらず、その後釜の推薦を受けた。よほど仕事振りを買われていたのだろう。昨秋からその職に就いているということは、収入役も宿直していたことになる。おそらくこの復帰を機にこの日録帳『豊栄考』を提起したのではないかと思われる。
続けて「収入役の責任は金銭にあることを余は断言した。決して公金は消費せぬ。之で収入役は心配なく勤まることと思ふた。また耳は遠くなっても在職半年余にして収入役の職責は余が思ひしよりも重からざりし。併し仕事の煩雑なりしことは余が想像の外なり」と収入役の心境を語っている。公金をジャブジャブと費消する省庁の役人に「決して公金は消費せず」の言葉を聞かせたいものだ。博多の旅の費用をこと細かく記録していたが、これも収入役らしい。
収入役
六月三日付けで「収入役」と題した項がある。しかしこの日づけは明らかに七月三日の誤りだ。六月十日の筆録に「六月の月に入り、始めて宿直をなす」とあるではないか。なによりも六月二十七日の項と七月六日の項の間に書かれている。それでも、この日録帳の順序に従ってここで採り上げる。
さて、この筆録で意外な事実に接する。「足掛け六年書記を勤め、耳疾に因りて一旦退職した余はまったく官辺に身を置くことは断念した」という状態にあったのだ。
ところが「去年の秋、(現職の)収入役が召集せられた。それは村の収入役としてよりも国家のために少尉の必要がより甚だしいためなり」と事態が一変する。そうしたいきさつから「その際、余は自宅で静養せりが村長の勧めにて不本意ながら役場に逆戻り、収入役の椅子に就いた」
先に制定された町村制の規定に「収入役ハ町村長ノ推センニ依リ町村会之ヲ選任ス」とある。収入役といえば村長、助役に次ぐ顕職である。耳の不具合で退職したにもかかわらず、その後釜の推薦を受けた。よほど仕事振りを買われていたのだろう。昨秋からその職に就いているということは、収入役も宿直していたことになる。おそらくこの復帰を機にこの日録帳『豊栄考』を提起したのではないかと思われる。
続けて「収入役の責任は金銭にあることを余は断言した。決して公金は消費せぬ。之で収入役は心配なく勤まることと思ふた。また耳は遠くなっても在職半年余にして収入役の職責は余が思ひしよりも重からざりし。併し仕事の煩雑なりしことは余が想像の外なり」と収入役の心境を語っている。公金をジャブジャブと費消する省庁の役人に「決して公金は消費せず」の言葉を聞かせたいものだ。博多の旅の費用をこと細かく記録していたが、これも収入役らしい。