助詞の話の続き。
「ので」と「から」の違い。友人と偶然会って酒を飲んだ。さて、「友達とばったり会ったので酒を飲んだ」か「友達とばったり会ったから酒を飲んだ」か。
詳細は忘れたが、ある本に「ので」は客観的事実、「から」には主観的な判断が入ると解説していた。その例として「電車が遅れた(ので)(から)遅刻した」を挙げている。果たして違いがあるだろうか。これに、主観的な判断の「不本意ながら」を挿入して「電車が遅れた(ので不本意ながら)(から不本意ながら)遅刻した」としてみた。差異があると思えない。
あらためて考えると、例文が適当ではないのだろう。「電車が遅れた」という事実はそもそもよい結果をもたらさない。つまり、主観的な判断は限定されるので、どちらの接続助詞でも変わりないからだ。
冒頭の例えの「友達とばったり会った」という事実は、とりあえず後の結果の良しあしと無関係である。そこで、主観的判断を括弧で入れると「友達とばったり会ったので(仕方なく)酒を飲んだ」、「友達とばったり会ったから(これ幸いと)酒を飲んだ」となりそうな気がする。要するに、後の結果がネガティブな主観の場合は「ので」、ポジティブの場合は「から」になりそうだ。
と我田引水に思ったことでした。
「ので」と「から」の違い。友人と偶然会って酒を飲んだ。さて、「友達とばったり会ったので酒を飲んだ」か「友達とばったり会ったから酒を飲んだ」か。
詳細は忘れたが、ある本に「ので」は客観的事実、「から」には主観的な判断が入ると解説していた。その例として「電車が遅れた(ので)(から)遅刻した」を挙げている。果たして違いがあるだろうか。これに、主観的な判断の「不本意ながら」を挿入して「電車が遅れた(ので不本意ながら)(から不本意ながら)遅刻した」としてみた。差異があると思えない。
あらためて考えると、例文が適当ではないのだろう。「電車が遅れた」という事実はそもそもよい結果をもたらさない。つまり、主観的な判断は限定されるので、どちらの接続助詞でも変わりないからだ。
冒頭の例えの「友達とばったり会った」という事実は、とりあえず後の結果の良しあしと無関係である。そこで、主観的判断を括弧で入れると「友達とばったり会ったので(仕方なく)酒を飲んだ」、「友達とばったり会ったから(これ幸いと)酒を飲んだ」となりそうな気がする。要するに、後の結果がネガティブな主観の場合は「ので」、ポジティブの場合は「から」になりそうだ。
と我田引水に思ったことでした。