本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

助詞2

2007-05-31 09:55:39 | Weblog
 助詞の話の続き。

「ので」と「から」の違い。友人と偶然会って酒を飲んだ。さて、「友達とばったり会ったので酒を飲んだ」か「友達とばったり会ったから酒を飲んだ」か。

 詳細は忘れたが、ある本に「ので」は客観的事実、「から」には主観的な判断が入ると解説していた。その例として「電車が遅れた(ので)(から)遅刻した」を挙げている。果たして違いがあるだろうか。これに、主観的な判断の「不本意ながら」を挿入して「電車が遅れた(ので不本意ながら)(から不本意ながら)遅刻した」としてみた。差異があると思えない。
 あらためて考えると、例文が適当ではないのだろう。「電車が遅れた」という事実はそもそもよい結果をもたらさない。つまり、主観的な判断は限定されるので、どちらの接続助詞でも変わりないからだ。
 
 冒頭の例えの「友達とばったり会った」という事実は、とりあえず後の結果の良しあしと無関係である。そこで、主観的判断を括弧で入れると「友達とばったり会ったので(仕方なく)酒を飲んだ」、「友達とばったり会ったから(これ幸いと)酒を飲んだ」となりそうな気がする。要するに、後の結果がネガティブな主観の場合は「ので」、ポジティブの場合は「から」になりそうだ。

 と我田引水に思ったことでした。

助詞の話

2007-05-30 08:55:34 | Weblog
 以前、「米洗う前に蛍が二つ三つ」の句に触れたかもしれない。このオリジナルの「米洗う前に」は「米洗う前を」としたほうがよいという話で、助詞の使い方で引き合いに出される。蛍の状態は、「に」では一定の場所に留まっていて静的だが、「を」では飛んでいる様に見えて動的だとする。そのとおりだろう。
 なお「米洗う前へ」という「へ」に触れた話もある。小生、この「へ」論に賛成だ。

 俗に、九州「に」、関東・関西「へ」、東北「さ」という。方向を示す助詞の使い方である。その地域によって「山に行く、山へ行く、山さ行く」というわけ。むろん、話し言葉の場合だ。「さ」は方言だろうけど。ただし、書き言葉では「に」と「へ」とには厳密な区別がある。
 方向を示す場合は「へ」を用いて「に」は用いないのが、用語のルールだ。「東へ行く」は正しいが「東に行く」は誤りである。一方、場所や動作の目的・結果を示す場合は「に」を用いる。「へ」は使わない。だから「山に行く」はどんぴしゃり山に行き着くために行く。「山へ行く」は山のある方向に行くにすぎない。上司に取引先の「A会社へ行く」と言って外出した場合、A社の方角にあるパチンコ屋に行ってもウソをついたことにはならないわけ。もっとも、その結果責任は負いません。

 さて、冒頭の話に戻ると「米洗う前へ」がよいと賛成の手を挙げた。「へ」の効果で、米を洗っている人物の面に向かって蛍が飛び交ってくる光景が浮かぶからだ。

投書宙吊り

2007-05-29 09:18:26 | Weblog
 新聞投書の成績は、22勝2敗と5月初めに書いた。現在は23勝2敗1分け。ひとつ勝ち星を増やしたが、さて1分けとは何か。
 先週の国会中継を観て、松岡農水相の説明責任の欠如と安倍総理のかばい立て姿勢にいささか腹に据えかねて、そのことを投書した。

 ところが昨日、当の本人が自尽した。緑資源機構関連の事件で膝元の熊本県にも司直の手が入った。業者から相当な政治献金もあるようだ。説明責任をないがしろにして胡散臭いままの自裁だ。
 これで投書が宙に浮いた。タイムリーな話題のつもりが、一瞬にして陳腐化した。それに死者を鞭打つわけにもいくまいとなろう。
 というわけで、小生、これは純然たるボツではなく、1分けとした。

モンゴル力士

2007-05-28 09:47:41 | Weblog
 近々、東西の「日の下開山」はモンゴル出身者になる。とにかくモンゴル勢の活躍がすごい。ハングリーの差もあるだろうが、最近の日本の若者は極端に足腰が弱いのでしょうね。
 
 本の受け売りによれば、日本人とモンゴル人に共通点が多いとか。ウラル・アルタイ語族系の民族同士で、言語構造もDNAが似ているそうだが、なんたって、お互いお尻に蒙古斑がある。つまり、モンゴル人が角界を圧倒するからといっても、同根民族であると思えば、目くじらをたてることもなかろう。
 
 また、別の読み物を引けば、1912年の日露協約で蒙古を線引きし、東は日本、西はロシアの権益としたとある。これが「内蒙古」、「外蒙古」の始まり。今でも内蒙古は中国の内モンゴル自治区として中国に属する。漢人が大挙入り込んで自治区は名ばかりのようだ。外蒙古はソ連邦の衛星国ながらモンゴル人民共和国として独立した。ソ連崩壊後は国名から「人民」を削除し、完全独立した。要するに、モンゴルを東と西に分裂させたことに日本は大きく関わったわけ。となれば、モンゴル力士が東西がっぷり組めるのは、結構なことではないかな。

川開き

2007-05-27 11:37:00 | Weblog
 宴会などの催しをお終いとするとき「おひらきにする」という。お終いとは閉めるまたは閉じることで、言わば、不吉を連想させる忌み言葉だ。それで、反対語の「お開き」にするわけである。 

 真夏日のような昨日の午後、40キロ先の寺での告別式に参列した。故人に対して不謹慎だが、他界は人生のお開きといえる。夕刻、今度は川開きの花火見物に出かけた。こちらの「開き」は文字どおり夏明けを告げる。
 屋形船が賑わい、岸辺にも見物者が群れた。陳腐な表現でいう黒山の人だかりである。打ち上げる花火は5千発で、この時期にしてはそれなりの規模だろう。

 やつがれ、すでに生ビール3杯をきこしめていたので、立っての見物はいささか厄介になってきた。そこで、かみさんを置いて一足先に。いや、帰ったのではない。またまた、いつものかみさんの高校同級生の店で焼酎を飲みはじめた。この川開きの夜は、終電10時12分の臨時電車がある。それでのんびり飲める。

 かくて、暑い1日、人生のお開きに参列したり、川開きを見物したり、ジョッキーをあけたり、焼酎ビンを開けたりとなったことでした。