本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

明日から午年

2013-12-31 09:12:55 | Weblog
 明日からは年が明けて、午年になる。
 午年生まれは少ないという。おそらく1966年の丙午を避けたからではないか。60年にたった1回の丙午でも影響があるということ。
 来年の午年の12年後の2026年は、再び丙午なる。少子化が進む中、またがくんと出生が落ち込むかもしれない。

 馬にまつわる故事成句はたくさんあるだろうが、すぐに思い起こすものは竹馬の友である。他郷で暮らすとその友はいないからだ。久しぶりに帰郷して同期会に出席してつくづくそう感じた。

 正月を故郷で過ごす人々がテレビに取り上げられる。そのほとんどは孫と祖父母の対面に焦点を当てているが、竹馬の友との再会もひとつの目的だろうと思うのだが。

 ついでにいえば、故郷には生き馬の目を抜くようなこともないしね。

電波時計

2013-12-30 10:00:58 | Weblog
 電波時計はすぐれものだねぇ。
 セットボタンを押すと、電波を受信して自動的に現時点の時刻が正確に秒単位で表示される。月日・曜日や温度/湿度も同様に表示される。カレンダーと寒暖計が付いているとやはり便利である。

 面白いのは時計の外側面に「風邪引き注意」や「熱中症注意」などのラベルがある。今は「乾燥肌注意」のラベルに対応するマークが液晶画面で点滅している。湿度34%ではそうなるのだろう。お肌の手入れをするつもりはないけど。

 この卓上時計は3千円もしなかったと思う。

「住めば都」

2013-12-29 09:32:20 | Weblog
 他郷に転居して8年余になる。「住めば都ですね」と言われるが、「住めば都」は当人が実感して発するものだ。人から言われても常にそうなるとは限らない。

「住めば」は「住む」の已然形に確定条件の「ば」が付いたものだ。
 已然(すでにそうなった)+ば(ので)ということで、「そこに住んでしまったので馴染んだ土地になった」となるだろう。当人がそうなったと認識しなければ話にならない。

 一方、「住まば都」ということもある。こちらは「住む」の未然形に仮定条件の「ば」が付いたものだ。
 未然(まだそうなっていないが)+ば(そうであれば)から「もし住むとしたなら田舎より都会のほうがいいだろう」となろう。
 これなら人から「住まば都ですね」と言われてもおかしくない。

横溝正史のミステリー

2013-12-28 09:27:16 | Weblog
 今朝の新聞で、山口県周南市で起こった連続殺人・放火の容疑者が起訴されたと報じていた。このおどろおどろした事件から現代版「八つ墓村」といわれている。

 その「八つ墓村」の著者横溝正史の忌日が今日28日である。
 先ごろ出版された『東西ミステリーベスト100』によれば、第1位がこの作家の「獄門島」である。ほかに第10位「本陣殺人事件」、第39位「犬神家の一族」、第57位にかの「八つ墓村」、第75位「悪魔の手毬歌」の5作品が連なっている。
 私なんぞは「悪魔が来りて笛を吹く」は推奨忘れではないかと思ったりする。

 それでも、江戸川乱歩は4作品、松本清張は3作品だから、いかにこの作家のミステリーが推奨されているかだ。

喪中はがき

2013-12-27 09:47:32 | Weblog
 年賀状を投函した後に、友人から喪中はがきがきた。今月の中旬になって不幸があったようで、この時期に届いたのだ。

「喪中はがき」は正式には「年賀欠礼状」というそうだ。つまり、喪中の期間につき新年の挨拶を控えるとのことで、早い話、年賀状を出しませんというわけ。

 受け取った側も、そういう事情ならばこちらも年賀状を出し控えようとなる。実際、喪中はがきの相手に年賀状を出したことはない。今回は、たまたま行き違いだった。

 ところが、喪中の相手に年賀状を出すことは一向にかまわないらしい。そんなことを知らなかった。とはいえ年賀状を受け取った相手も知っているかどうかあやしい。喪中はがきをうっかり忘れたかなと思うかもしれないのだ。

 今までどおり出さないことでいいだろうよ。