本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

図書館の貸出冊数

2014-01-31 10:07:28 | Weblog
 本を買うのは文庫本に限っている。ハードカバーの本は図書館で借りる。1回につき5冊まで借りられるが、2週間の期限までに完読できる本はせいぜい3冊だ。したがって、月6冊程度になる。

 2010年のデータによると、図書館の貸し出し冊数の1人当たりの全国平均は5.33冊/年とある。ちなみにこの県では大幅に平均値を下回っていた。

 ただ、都道府県別にそれぞれの貸し出し総数をそれぞれの住民人口で割るわけだが、赤子から超高齢者までの頭数で除した統計指数に意味があるのだろうか。
 もうひとつわからないのは、貸し出し冊数は県立図書館だけなのか、市町村の図書館も含むのかということ。
 いずれにしても、本の受難時代だと思う。

 話は変わるが、アメリカの小学校で、本を1冊読むごとに2ドルあげる実験をしたとか。その結果、薄い本だけ読むようになるらしい。これでは本を読む動機が違ってくる。それでも、こんな実験をしたくなるほど本は読まれないわけだ。

慰安婦問題の責任

2014-01-30 10:02:03 | Weblog
 籾井NHK会長の「慰安婦発言」は、ポストに舞い上がって、つい口を滑らしたか、あるいは公職というモノサシの計りかたを知らなかったか。言っていることは間違いではないと思う。

 波紋が広がっているが、なによりも責を負うべきは、慰安婦のでっち上げ記事を載せた朝日新聞ではないか。その記事がきっかけで日本中をてんやわんやさせたのだ。

 本や雑誌などで読むと、軍が慰安婦に関与したと証言した者の話に信ぴょう性はないという。実際、ある歴史家は済州島で聞き取り調査をした結果、事実でないことも確認されたという。つまりその記事は「ガセネタ」だった。裏を取ることもしない大失策だ。

 かくも日本に負い目を負わせた誤報について謝罪記事があったとは聞かない。河野談話は早とちりしたが、記事にお墨付けを与えたわけではない。
 
 野党はNHK会長の発言を国会で争点にするようだが、それより朝日新聞の記事を問題視することが先ではないか。

名前の由来

2014-01-29 09:36:57 | Weblog
 アメリカのミステリーを2、3冊並行して読んでいる。話の筋が混乱することはないが、今度ばかりはちょっとややこしい。
 というのは、交互に読んでいる2冊の主人公の名はどちらもメイソンで、読みはじめにどっちのメイソンだったか、とまごつくからだ。

 それだけのことだが、このメイソン(Mason)という姓は石工に由来するらしい。例のフリーメイソンは元々石工組合が発端といわれている。
 
 ついでに本にあたると、メイソンのように姓が職業に由来するものとして、スミス(鍛冶屋)、ミラー(粉屋)、クーパー(桶職人)、ターナー(旋盤工)などもある。

 西欧の人名は聖人の名にあやかるものが多い。ヨハネ(John)からジョン、ペテロ(Peter)からピーター、ミカエル(Michael)からマイケル、パウロ(Paul)からポールなどだ。

 ジョンは英語圏だが、フランスではジャン、イタリアではジョバンニ、ドイツではハンス、スペインではファン、ロシアではイワン、オランダではヤンとなるようだ。
 ヤンキーとはオランダ野郎のこととある。ヤンキーズの田中投手はオランダ野郎どもの一員ということだ。

寒さに変わりなし

2014-01-28 09:30:42 | Weblog
 北国の友人からの年賀状に「そちらは暖かくてよいですね」とあった。
 九州は暖かいという思いこみがあるようだが、北部は日本海に面しているから寒さは山陰地方と変わらないのではないか。
 首都圏の寒さと大して違いがない気がする。雪も降る。さすがに豪雪にはならないだけ。

 雪は降らなくても気温は低い。それで高速道路は凍結して通行止めになる。ストーブ用に灯油がバンバン売れている。

 清少納言は好きなものに「冬はいみじう寒き」と書いている。開けっぴろげの寝殿造りに住んで灯油もエアコンもないのに、冬は厳しい寒さが大好きとは、へそ曲がりだ。
 紫式部が「彼女、鼻持ちならない」と書いているのもうなずける。

英語教育

2014-01-27 09:26:54 | Weblog
 小学校の英語教育を拡充させる方針とか。児童も大変だろうが、小学校の教員には英語力があってちゃんと教えられるのかね。

「韓国などには英語堪能者が多い。それにつけても我が国は…」とよくいわれる。韓国では日本語にも達者な人がやはり多い。今は中国語かな。そうしなければ、就職が覚束ないからだ。

 総じて、貧しい国といえば語弊があるが、発展途上国ほど英語の勉強に熱心のようだ。
 日本も明治維新後の貧しかった時代に外国語の勉学に力を注いだ。しかも当時は直接外国人すなわちネイティブ・スピーカーから教えられた。官費留学も盛んだった。
 なにしろ、外国語で聞き、原書で読まなければ西欧の文明の知識が得られないのだ。

 今の日本は格差社会とはいえ国力は豊かである。小学校から画一的に学ぶ必要があるのだろうか。明治期だって、寺子屋や尋常小学校から学んでいたわけはない。それでも優秀なバイリンガルが育った。
 
 語学力を身につけるためは強い意欲が必要だろう。そもそも、すべての人がグローバル人材にならなくてもよいし、また、英語のリテラシーだけで国際人になれるとも思わない。