台湾の留学生の話で、日本語をおぼえる早道はテレビの歌番組だという。これ自体、初耳の部類ではないけど、その続きが面白い。ある日本語は、中国語に訳すと、その言葉にこめられた日本人の心が理解できなくなるという。その言葉として、二つを挙げていた。「人の妻」と「さだめ」である。なにやら、歌に疎い小生も聞いたふうな歌詞にある言葉だ。
ところで、小生、本を読み漁るなか、気の利いた言葉や知識に役立ちそうなフレーズを雑記帳にメモする癖がある。もっとも、書いてもすぐに忘却の癖もあるし、前後の脈絡がないから、この言葉はなんのこっちゃと考えあぐむ癖もある。
書きとめてあった「Denotation:表向きの意味、 Connotation:言外の意味」もそうだ。もともと、論理学の用語らしいが、そんな本は読んでもいない。
ところが、先の「人の妻」は、ディノテーションでは、他人の奥さんとしか言いようがないが、手折ることができない花のような存在という言外の意味、即ちコノテーションがあって、中国語化が難しいのだろうと思ったことです。中河与一の『天の夕顔』を思い浮かべますわ。「さだめ」も運命や規則(これ、歌になじみませんけど)ではない、何かしら無常観がありそうだ。説明に窮するけど、ポール・アンカの歌とちょいと違いような気がする。
ついでを言うと、いいだ・ももさんは男だ、小野妹子は男だ、これ、ディノテーション。天野屋利兵衛は男でござる、西郷どんは男だ、これ、コノテーション。単純化すれば、このようなことでした。
それにしても、この留学生、歌の雰囲気から言外の日本語を汲み取ったとはえらい。また、日本の歌謡曲も捨てたものではありませんな。
ところで、小生、本を読み漁るなか、気の利いた言葉や知識に役立ちそうなフレーズを雑記帳にメモする癖がある。もっとも、書いてもすぐに忘却の癖もあるし、前後の脈絡がないから、この言葉はなんのこっちゃと考えあぐむ癖もある。
書きとめてあった「Denotation:表向きの意味、 Connotation:言外の意味」もそうだ。もともと、論理学の用語らしいが、そんな本は読んでもいない。
ところが、先の「人の妻」は、ディノテーションでは、他人の奥さんとしか言いようがないが、手折ることができない花のような存在という言外の意味、即ちコノテーションがあって、中国語化が難しいのだろうと思ったことです。中河与一の『天の夕顔』を思い浮かべますわ。「さだめ」も運命や規則(これ、歌になじみませんけど)ではない、何かしら無常観がありそうだ。説明に窮するけど、ポール・アンカの歌とちょいと違いような気がする。
ついでを言うと、いいだ・ももさんは男だ、小野妹子は男だ、これ、ディノテーション。天野屋利兵衛は男でござる、西郷どんは男だ、これ、コノテーション。単純化すれば、このようなことでした。
それにしても、この留学生、歌の雰囲気から言外の日本語を汲み取ったとはえらい。また、日本の歌謡曲も捨てたものではありませんな。