本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

表向きの意味・言外の意味

2005-09-29 11:53:43 | Weblog
 台湾の留学生の話で、日本語をおぼえる早道はテレビの歌番組だという。これ自体、初耳の部類ではないけど、その続きが面白い。ある日本語は、中国語に訳すと、その言葉にこめられた日本人の心が理解できなくなるという。その言葉として、二つを挙げていた。「人の妻」と「さだめ」である。なにやら、歌に疎い小生も聞いたふうな歌詞にある言葉だ。
 
 ところで、小生、本を読み漁るなか、気の利いた言葉や知識に役立ちそうなフレーズを雑記帳にメモする癖がある。もっとも、書いてもすぐに忘却の癖もあるし、前後の脈絡がないから、この言葉はなんのこっちゃと考えあぐむ癖もある。
 書きとめてあった「Denotation:表向きの意味、 Connotation:言外の意味」もそうだ。もともと、論理学の用語らしいが、そんな本は読んでもいない。

 ところが、先の「人の妻」は、ディノテーションでは、他人の奥さんとしか言いようがないが、手折ることができない花のような存在という言外の意味、即ちコノテーションがあって、中国語化が難しいのだろうと思ったことです。中河与一の『天の夕顔』を思い浮かべますわ。「さだめ」も運命や規則(これ、歌になじみませんけど)ではない、何かしら無常観がありそうだ。説明に窮するけど、ポール・アンカの歌とちょいと違いような気がする。
 ついでを言うと、いいだ・ももさんは男だ、小野妹子は男だ、これ、ディノテーション。天野屋利兵衛は男でござる、西郷どんは男だ、これ、コノテーション。単純化すれば、このようなことでした。
 それにしても、この留学生、歌の雰囲気から言外の日本語を汲み取ったとはえらい。また、日本の歌謡曲も捨てたものではありませんな。


宮沢賢治のオノマトペ

2005-09-27 23:31:39 | Weblog
 ある本のなかで、作家のロジャー・パルバースが面白いことを言っていた。
 40年前、初めて宮沢賢治の『ざしき童子のはなし』を読み「ざわっざわっと箒の音がきこえます」のオノマトペに感心して、宮ざわっざわっ賢治と呼んでいたという。
 当時、外国人に賢治は最高の作家だよ、と触れ回ったが、「君、溝口健二監督の間違いだろう」と言われたとか。
 確かに、外国人には映画監督のほうが有名だったのでしょうね。
 この方、『英語で読む宮沢賢治詩集』の著者といいますから、相当賢治に惚れたようですな。それにしても日本のオノマトペはどう英訳するのでしょうね。


田舎に転居して

2005-09-23 11:14:47 | Weblog
 田舎の生活は刺激がないでしょうと気遣いされるが、その田舎が刺激的だ。
 二階から見ると、川の先は田んぼ、番いのサギがいて、畦には彼岸花。その間に一両のローカル電車がのんびり走る。さらに向こうのこんもりとした山裾に寺の屋根が覗く。朝晩に鐘がなる。そのうち見飽きるだろうけど、都会にいても、この歳では紅灯の巷をうろつくこともない。
 蚊取り線香を焚くなんて遠い記憶だ。鎌で草刈なんて初体験。猫が庭からヤモリ、トカゲ、もぐらの子なんぞ咥えてきて見せびらかす。わたしゃ、気が小さいから逃げますけど。
 市の中心から15キロ離れてしまえば、もうごっつい田舎である。

 町内に居酒屋が一軒。さすが焼酎に豪たる地方、ボトルキープは一升瓶、お湯割り、水割りなしの生で飲むから、確かに減るのは早い。二日酔いもひどいけど。
 先夜、この店に声だかの中年がひとりだけ。なんと駐在所のおまわりさん。いや、この地は暇だから「ひまわりさんじゃ」と軽口をたたいていた。「じゃが、交通取締りでもした日にゃ石を投げられるばい」と言う。もっとも、おかみさんは、この辺では車で飲みにくる若者が多く、こまわりさんがいるとこそこそ逃げてしまうらしい。「あんたは営業妨害じゃ」と言っていた。どっちもどっち。
 後日談だが、その翌日、ひまわりさんはパトカーで常連の若者連中の家を回ったらしく、夜にぞろぞろ飲みにきたそうな。
 はい、「警察日記」をもじれば「駐在日記」であります。

地方の食文化

2005-09-22 15:42:27 | Weblog
 物流の発達で、地方の特産である食材は、だいたい手に入る。ところが、その地方独特の食文化があって、圏外では流通しないものがある。  
 九州のある内陸部の一帯では塩くじらの食文化がある。山間の道沿いにも「塩鯨有ります」の看板が出ているので、てっきり「山くじら」つまりボタン肉かと思った。やはりくじらの塩漬けである。海から遠いため保存の工夫ができる海産物しか食せなかったかもしれない。それが食の文化として根付いたのだろう。広島県日和町のワニ(サメのこと) の塩漬けも同じことと思う。山梨の煮貝もそうだろうが、こちらは名産として他県でも人気がある。さて、くだんの塩くじらは、近年、捕鯨制限の品薄から値が張り、食する人が少なくなったと聞く。それでもスーパーに置かれているところをみれば、その文化は脆くない。
 
 一方、東北にはホヤの食文化がある。九州にはそのホヤがない。知る人もほとんどいない。東北唯一のトロピカル食材だ。むろん、これはジョーク、その外皮の形から海のパイナップルといわれているからだ。
 磯の香りとほろ苦さが舌に残る独特の風味は、好ききらいの分かれるところである。首都圏のスーパーや魚屋にもたまにある。東北人の強い嗜好からの要求で出回ったらしい。 浜松町の居酒屋に「三陸名産ホヤ」の品書きがあった。注文すると「食べたことがありますか」と訊かれる。初めて食する客はたいてい箸を置いて残すそうだ。
 悪態的に言えば、食べつけていないものはその場に留まって文化になる。
 
 それにしても、韓国ではホヤはよく見かける食材だ。明太子のルーツは韓国(めんたいは韓国語でタラ)なのに、眼と鼻の先の釜山からホヤが渡らなかったのが不思議である。

「の」の妙

2005-09-21 16:43:53 | Weblog
 在日韓国人の知人からNPO設立申請の趣意書案文の相談があった。構成はちょいと拙いが、並みの日本人より巧い文章でしたね。
 さて、話題は「その他」と「その他の」とはどう違うかということ。設立目的に「××事業その他(の) ××事業を推進する云々」なんぞと出てきますね。
どちらでも大差なさそうだけど、厳密に言えば、意味が異なる。
 先ず「××事業その他の××事業」とあれば、前段の事業は後段の事業の一部と解されている。つまり、前にある文言は、後にある文言の例示的な役割になるのですな。
 これに対し「××事業その他××事業」とあれば、前段の事業は後段の事業に包含されない。要するに、前にある文言と後にある文言は並列関係になるのですな。
 後は、「の」となれ山となれ、といかないのが日本語のおもしろいところだということでした。