本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

横綱のガッツポーズ

2009-09-30 11:27:03 | Weblog
 朝青龍が優勝決定戦で勝ってガッツポーズをとった。これにクレームがついた。横綱の品格を損なうということだろうが、いいじゃありませんか。格闘技に勝てば喜びを表現するのはごく自然ですわ。
 同じ伝統的格闘技の柔道では、相手に勝てば飛び上がってはしゃぐ。相撲だけが古式に則るとかなんとかで勝者の行動を制約する。これ、古びた脳みその菌がはびこる相撲風土病ですよ。
 格下に勝って小躍りをすればいちゃもんをつけてもよいでしょうけど、相手は東の横綱、つまり同格以上の相手ですよ。しかも、優勝決定戦は本割りと違って特殊な勝負。相手を倒せばうれしいし、ガッツポーズはガチンコの証拠。目くじらを立てることもありませんわ。

 むしろ、7勝7敗の大関が千秋楽で簡単に勝つほうが胡散臭い。 大関といえば、九州出身の二大関こそ品格を汚している。辞めさせるか、負け越し即降格させるべきだ。


都会の駐車場

2009-09-29 11:53:26 | Weblog
 この地に転居して四年になるが、わが家の車のナンバープレートは「川崎」のままである。道を間違えてモタモタしても大目に見てくれる。後続の車のドライバーは里帰りかレジャーの車だろうと思っているのではないか。しかし、川崎インターから約千二百キロ、たとえ高速道路が無料化になったとしても気軽に往き来できる距離ではないけれど。
 
 ところで、首都圏でも九州圏のナンバーを見かけたものだ。法律では車の保管場所を住居から二キロ以内に確保することになっている。とは言えその条件で駐車場を探すことがむずかしい場合もあるだろう。整備工場で聞いた話によると、それで田舎の実家で車を購入して首都圏に転がして行くという。県外ナンバーにはそんな事情があるわけだ。

 ドイツのある都市では住宅街から駐車場を締め出した。物の運搬のときだけ車が入れる。子どもを危険から守る目的のようだ。ひるがえって、住居の近くに駐車場を確保せよと規制する日本も、遠く離れた駐車場でもよしとする発想の転換が必要ではないか。


商店街悪化の引用文

2009-09-28 09:53:12 | Weblog
「~商店街では続々とシャッターが下り、国道沿いには安い商品が大量に並ぶ量販店が乱立する」
 上記は今月号の月刊誌にある論文からの引用したもの。とっくに周知の日本の実状ですね。

「~ハイウエー沿いの空いた店舗は増え続けるばかりであり、新しいテナントが入り新規開店というような景色はここしばらく見ていない」
 これは同じ月刊誌から引用したアメリカの現状です。アメリカもショッピングモールの小売店が苦戦して閉店に追い込まれているのですね。

「デパートメントストアが各区域の商店街を寂れさせ~」
 これは、太平洋戦争突入の同じ年の昭和16年に書かれたある小説からの引用です。今はデパートも落ち目ですが、その当時はデパートが商店を苦境に追い込んだわけですね。
 デパートをアメリカの大鑑巨砲にたとえると、小売店は日本の小銃ですかな。戦争に負けることを暗示しているみたいです。

 それはともかく、古今東西、似たような現象が繰り返される。なにも流通業だけではないでしょうけれど。

ツボとカメのやきもの

2009-09-27 12:58:27 | Weblog
 韓国のドラマを観ると、テンジュン(味噌)やカンジャン(醤油)を入れたツボやカメがよく出てくる。大きな料理店ではどでかいカメを庭先に置いてある。ということは、ツボやカメのやきものは、まだまだ生産していることになる。
 
 日本でも、多分、昭和30年代までは家庭に味噌入れや漬物用に陶器のツボやカメがあったと思う。だから窯元はじゃんじゃん作っていた。つまり、台所用品として必要だった。
 
 ところが今は、皿や小皿の食器類にシフトしている。冷蔵庫の出現が台所用品のツボやカメを衰退させた。
 火鉢もやきものから消えた。こっちは言うまでもなく、暖房器具が駆逐してしまった。


独居老人と幼稚園児

2009-09-26 16:10:45 | Weblog
 市の郊外にあるこの一帯の町ではいくつかの小地区に分かれている。地区の意味は行政の小単位という位置づけのようだ。ある地区は22戸数のうち9戸、またある地区は9戸(ほとんど小といっていい)のうち5戸が独居老人という。私の地区でも3戸が該当している。高齢化もさりながら、今や三世代はおろか二世代の同居もない。
 
 ところが、幼稚園に60人ほどの園児がいるとか。若い夫婦がいないのにどういうことか。実は市街には結構幼児がいるらしい。それで、市街の幼稚園の定員枠に収まらないおこぼれが、送迎バスでやってくるのだ。意外にも田舎都市では少子化ではないらしい。ただし、就学年齢に達すると、市街の小学校に入るので、かくて、この郊外の小学校の児童数はじり貧の一途をたどっている。
 不思議な人口動態である。