本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

予定調和

2017-11-30 09:17:42 | Weblog
 国会中継を観ていると、森友、加計問題は予定調和という感じですな。つまり、あらかじめ結果は明らかで、実際に予定しとおりの結果になっていますから。
 閣僚答弁もさりながら官僚もはぐらかしの「お答えします」ご追従極まりですわ。
 
 日馬富士の引退も予定調和ですかね。ただ、レトリック的に申せば、相手の力士は同じ土俵に上がらない。これではがっぷり四つに組めない。行司の判定も勝負審判の物言いもできない。これでは、勝ち名乗りを受けられないね。
 ついでだが、先日、長崎の鷹島に行って、元寇の発掘遺品を見た。その時に思ったのだが、今や相撲界は第二の蒙古来襲ではないか。

階段昇り降り

2017-11-29 09:04:28 | Weblog
 馬齢を重ねると脚が弱くなる。それで散歩でもするかとなるのだが、それすらだんだん足が遠くなる。
 
 私は二階の部屋を生活の拠点としている。その階段は14段である。「一体、1日に何回昇り降りしているのだろうか」と考え、つい最近チェックしてみた。
 18日間の往復の平均は8回強だった。トイレは1階にしかないし、3度のめしも下で喰わねばならない。つまり、じっと引きこもって読書しているわけではない。ただ、生活習慣の必然的階段利用に過ぎない。まぁ、快男児ならぬ階段爺ということ。

 それでも、昇りだけの効果では1日100段以上になる。脚の鍛錬が階段とは情けないが、1階を拠点とするよりマシということだ。

タイヤ交換

2017-11-28 09:17:06 | Weblog
 ガソリンスタンドでタイヤの空気圧をみてもらったところタイヤがずいぶん摩耗していると言われた。東京や首都圏で乗っていたときの「スプリンター」や「アレックス」ではタイヤを一度も取り替えたことはない。
 今の「アクア」は4万キロほど走っているが、以前の車のほうがもっと走行距離数はあったにもかかわらずだ。

 となれば、考えられるのは、地方では悪路があってタイヤの損耗が早いからかもしれない。なにしろ、材木運搬車やらダンプやらクレーン車やらの大型の車がよく走る。そのせいか道路が割れたり、へこんだりする箇所が多い。道によっては道路を横切る排水溝のグレーチング蓋(スチール製だろうか。)が浮き出てる。スピードを落とさないと、衝撃でタイヤが傷つく可能性もある。

 ともあれ、事故を起こしては大変だから、オートバックスでタイヤを4本とも取り替えた。ゴムバルブ交換も廃タイヤ処理もオイル交換等も含めた費用で5万円ほどだった。
 安いタイヤにはダンロップ製はともかく韓国製のタイヤもあるそうだが、今までと同様のブリヂストンタイヤにした。

 あのとき、タイヤを取り替えておけばよかった…と後悔するより5万円ですんだということだろう。

お城

2017-11-27 09:46:21 | Weblog
 唐津城天守閣に登った。眼下の唐津湾の眺望はなかなかよい。平成になって大修理をしていろいろ発見があったそうだが、そのひとつ、解体した石垣の調査の話を聞く機会があって、それでこの城を訪れたわけ。
 
 私は城マニアではないが、結構城を見ている。ランダムに挙げると、南鶴ヶ城、犬山城、松本城、姫路城、松山城、高知城、松江城、小倉城、中津城等々だ。見上げてみた程度のところもあるが、遠くから見た名古屋城や大阪城よりは近くに行ったということだ。

 だいたいが街の中心に位置しているから立ち寄ったということ。国宝だから目指した城もあるが、かといって彦根城には行っていない。
 
 話を戻すと、石垣の調査の話をした講師によると、唐津城は江戸時代3回も石垣の修理をしているとか。そこで「武家諸法度では許可なく城の修理はできないはずだが、その許可をとっていたのか」と質問した。ところが、許可を受けていなかったようだ。
 
 有名な話に福島正則は無断改築で改易されている。唐津城の修理はこっそりともぐりでやったか。いや、福島は外様大名だが、唐津城主は譜代大名である。譜代だから幕府の暗黙の了解か目こぼしだったか、ではないかと思ったものだ。

太宰符天満宮

2017-11-26 06:34:32 | Weblog
 先週の日曜日、九州国立博物館を見学したついでに大宰府天満宮に立ち寄った。以前、出張の際に2回(若い時分と20年前)寄ったことはあるが、まるで記憶がない。
 
 びっくりするほど人出が多い。七五三のお参りで着飾った子どもと自撮りカメラの中国人が目立った。合格祈願の受験生らしき若者はいない。まだ、参拝には時期が早いか。
 どの店でも梅が枝餅を買う客の行列ができている。ガラス越しに製造工程が見える。ほとんどの工程は機械によるが、人の手がかかるところは素手である。あれ、気持ちわるい。極薄のゴム手袋をするべきだ。

 話は横道に逸れる。朝倉市の国道386沿いに「梅ケ谷」の看板がある。そそっかしい人が「あっ、ここで梅が枝餅を売っている」と言ったとか。梅ケ谷は明治時代の横綱で生家がその近くにあるようだ。
 私も「大橋巨峰」というブドウやの看板を「大橋巨泉」と読み違えた前科があるから人のことを言えないけれど。

 ランチは「トマトときのこのパスタ」。これが天満宮門前から横丁に入った町家ではない普通の民家で食べた。玄関引き戸を開けると、三和土と上り口がある。まったくの普通の住居だ。玄関を上がってすぐの部屋…居間だったに違いない…に四人掛けテーブルが4つほど。飲食店としての営業許可証があるのだろうか。バスタはおいしかった。

 今日日曜日は唐津や鷹島に行く。鷹島にはモンゴル村があるけれどそこには行かない。そうそう、大相撲のモンゴル同士のいさかいはどちらもアウトにしてほしい。
 では、出かけよう。