本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

遺品片づけ

2014-11-30 09:20:25 | Weblog
 「親の家の片づけ? 余計なお世話よ」(文藝春秋12月号、樋口恵子)を読んだ。
 片づけられる親の論理では成程と思うところもあるが、片づける子どもサイドからは、その論理は違うなという面もある。
 本人には思い出と未練がある物であっても、経年劣化して不用物になっているほうが多いのだが、捨てきれないのだろう。

 かみさんの実家に住むにあたって、先に帰郷したかみさんは亡くなった両親の不用物の片付けを業者に依頼した。なんでも何十万か掛かったらしい。それも当座の片づけだけの分である。

 その後、私が処分の陣頭に立った。思い出も未練もへったくりもないからどんどん処分対象になる。それで、三度ほど借りた軽トラで市の処分場に持ち込んだ。それでもまだ、手つかずの押入れや納戸があるのだ。

 とにかく、溜めずに片づけることが大事だ。チリも積もれば山となる、そのとおりだ。

「しっかり」と「速やかに」

2014-11-29 09:38:54 | Weblog
 安倍首相は演説で「しっかり」を連発していた。聞き苦しい。ただ、谷垣幹事長も野党も口にする。こんなに多用しては値打ちが下がり、むしろしっかりできないのではないかと危ぶむ。国民からしっかりしろと言いたいくらいだ。

 また、与党の公約に「速やかに整備する」などとある。この「速やか」には期待しないほうがよい。
法律上、時間的速度を表す用語として、ほかに「直ちに」と「遅滞なく」がある。速度が速い順でいえば、直ちに→遅滞なく→速やかに、となる。
 「直ちに」は最優先で取り組むこと。「遅滞なく」は最優先の事柄の次に取り組むべきこと。「速やかに」はできるだけ速くという意味ではあるが、単に訓示的な用語にすぎない。つまり、整備が遅れも公約違反にならないわけだ。

 消防法の例を挙げよう。
 「気象の状況が火災の予防上危険であると認めるときは、そり状況を直ちに…通報しなければならない(第22条)」この「直ちに」は、一刻も争うから最優先で通報しろということ。
 「火災を発見した者は、遅滞なくこれを…通知しなければならない(第24条)」この「遅滞なく」は、先ず生命の安全を優先してから通知してもよいとなりますか。
 ひとつの法律の中で使い分けていますね。この法律には「速やかに」なんぞない。

布教活動

2014-11-28 09:19:36 | Weblog
玄関のチャイムが鳴った。エホバの証人の宣教活動である。むろん、門前払いだ。
何十年前だったか忘れたが、自分の息子に輸血拒否した信者である父親がいた。それがエホバの証人なる教理であると初めて知った。なんとも理不尽な宗教かと思ったものだ。

時々、道端で複数の女性が話し合っている姿を見受けられる。エホバの証人の面々であるとわかる。戸別訪問はペアで行うそうだ。
人口が減少し、かつ高齢者の多い土地柄でも熱心に布教しているわけですね。この辺りはほとんどが門徒すなわち浄土真宗の寺に属しているので、けんもほろろとなると思うが。

エホバよりスタバがよいが、この市にはスタバもスナバもありませんわ。

マンネリ

2014-11-27 09:25:39 | Weblog
 誕生月の今日の運勢にマンネリになるとある。
 マンネリ(マンネリズム)とは独創性がないとか変化がないということだが、そもそもはマナー主義のことだ。つまり、様式、作法、所作、儀式の類い。
 ということは、歌舞伎の様式美なんぞはマンネリそのものだ。茶道などもマンネリではないか。文化や伝統はマンネリが基本だろう。
 
 年賀状のコメントによくあるのが「お変わりありませんか」である。「変わりがなければなによりです」が省略されているのだ。これぞ変化がないこと、早い話、マンネリ大いに結構と言っているわけだ。
 
 マンネリは大事にしたい。

味の格差

2014-11-26 09:38:45 | Weblog
 およそ地方にはタイ料理店がない、ロシア料理店がない、冷麺の旨い韓国料理店がない、中華料理店では小龍包の影も形もないのだ。

 たまにはヤムウンセンやソムタムあるいはピロシキやつぼ焼きなど味が変わったものを求めたいが、それは無理ということ。

 小龍包といえば浜松町の新亜飯店、ロシア料理なら新宿のマトリョーシカ、タイ料理なら錦糸町ある店にはずれはない。冷麺は新宿の風林会館の前においしい店があったがいつの間にかなくなった。だからうまい店を知らないが、韓国料理店の多い赤坂付近の店にはあるだろう。

 地方創生は大事だが、味が創生されることはまずない。都会と地方では味の格差が大きいといえる。