本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

シリーズ物の主人公の内外比較

2006-08-31 11:48:08 | Weblog
 世に、魅力的な主人公が活躍するシリーズ物がある。銭形平次は383編、鬼平こと長谷川平蔵の犯科帳は135編あるそうな。その一つひとつは面白いが、その数の多さに、この主人公は歳をとらないのかいなと白ける。
平次が平均十日で事件を解決したとしても優に十年の歳月を要す。歳をくって銭を投げても届かんのではないかね。まァ、平次に限らず、捕り物帳のシリーズはみんな歳をとりませんわ。
鬼平が出張るまでに密偵があちこち探索したり張り込みしたりする。要するに事件解決までに半月やひと月はかかるから、これまた相当の年月に亘る。鬼平の白刃の腕も鈍らないのかね。それに事件直後にまた事件が発生するわけでもあるまいし。
 サザエさんなんぞはマスオさんと結婚し、タラオが生れ育っただけの時の経過だ。これが30年間も続いた四コマの日常だから、一年間が3,650日もあるようなものだな。
 
ところが外国の物は合理的だ。シャーロック・ホームズには履歴らしいものが窺がえて、1914年には60歳になっている。
 ピーター・ダイヤモンド警視シリーズはまだ8作だが、以前の事件のエピソードを織り込んだり、転勤した女刑事が事件と無関係にひょいと顔を出したりと、時の流れをすくい取っている。
 クリシィも老いてきたが、残念ながらこのシリーズの作者A.J.クイネルが先に亡くなった。
 ダーク・ピットシリーズは17作あるが、さすがに超人的なピットも肉体的衰えを隠さない。いや、超人的だからこそその衰えは必定ですな。そこで、伏線として、すでにピット・ジュニアを登場させており、日本未発刊の18作目は、ジュニアの活躍舞台となる。 もっとも、この作者は用意周到で、ピットと同じ機関のカート・オースチンのシリーズを登場させた。沈着、冷静、冒険魂はピットそのままの焼き直し。ただ若さが必要なのだ。
 
 こっちが老いたせいの僻み根性か、日本のシリーズの無頓着さを思うことでした。

戦争節目の生まれ年月日

2006-08-30 14:06:03 | Weblog
 自分の誕生年あるいは月日に、どんな歴史的な出来事があったのか関心を持つものだ。
 月刊誌の対談の中で、対米戦争を避ける方法があったとすれば、どの時点かという話があった。それは日独伊三国同盟の締結という。言い換えれば締結直前までは戦争エンジンのスイッチを切ることができた筈だということである。

 その三国同盟の締結は1940年9月。やつがれが産声を上げたちょうどその年月である。
そして五年後の1945年9月2日、東京湾内のミズリー号艦上で降伏文書に調印し、戦争は終結した。この9月2日はやつがれの誕生月日である。
 つまり戦争必然の節目の年月に生まれ、終戦の節目の幸福、いや降伏の日に誕生祝いをしたというわけ。

次郎長映画

2006-08-29 09:59:28 | Weblog
 3、2、2、5、9、3、6、2、8、3、3、9、6、5、5、4
 上の数字は、昭和25年から40年までの『清水の次郎長』の年間映画本数の推移であるそうだ。その多さに驚きですねぇ。特に昭和29年と昭和36年の9本、昭和33年の8本は凄まじい。渡世人、いや義理人情とチャンバラが絡むと興行成績が良かったのでしょうね。
 
 その当時の股旅映画で名高い主人公は、『瞼の母』の馬場(ばんば)の忠太郎、『一本刀土俵入り』の駒形茂兵衛、沓掛時次郎、関本の弥太郎(関の弥太っぺ)、国定忠治ですかねぇ。木枯らし紋次郎はまだ先の話ですな。実在は次郎長と忠治、忠治は嘉永3年に処刑されたが、次郎長は明治26年に73歳で天寿を全うした。
 
 閑話休題 その後、次郎長映画は衰えていく。幕末が舞台の映画なら新撰組や勤皇の志士の人物に取って代わったのだろうと推測しているが、そりゃ無理だ。次郎長も確かに幕末を走り抜けたが、誰も幕末が背景と思っていないでしょうよ。それに渡世稼業の荒神山の出入りは、新撰組の池田屋、近江屋の出入りとは異質ですわ。 
 次郎長人気は、取り巻く子分の大政、小政、森の石松、吉良の仁吉、敵役の黒駒の勝蔵なんぞの人物のキャラクターが面白いのが大きい。それは広沢虎造の功績ですな。浪曲を唸ってあまねく広めた。やはり日本人の好きな『忠臣蔵』と同じで、ストーリを彩る人物群が活き活きしている。それに清水の土地柄、富士山とお茶。これが良いのでしょう。

 話は飛ぶけど、お茶で思い出したが、茶畑付近にある交通安全の看板。「ここは茶どころ、無茶するな」
 滅茶苦茶な運転はいけませんな。


電柱のお値段

2006-08-28 15:45:04 | Weblog
 カミさんの親の代から他人に120㎡ほどの畑を貸していた。貸し料は年額千円である。ところが、借り手の一人暮らしのおばあさんは老人ホームに入っており、畑が放置されて何年にもなるとか。でも、元気になってからまた耕すと言っていたそうで、こちらも不用の畑だからほったらかしにしている。そのおばあさんが先日亡くなった。
 
 さて、話はここから。
 その畑の端に一本の電柱が立っている。つい最近、ひょんなことから電柱敷地料なるものを知った。年額1,750円というから大した額ではないが、土地所有者に支払うべき電柱敷地料を、永年、電力会社は、借り手のおばあさんの口座に振り込んでいたというわけ。
 
 一口に電柱といっても、電力会社の電力柱とNTTの電話柱があるそうだ。それに両方で共用する共架柱もある。これらの電柱敷地料(道路の場合は電柱占用料というらしい)は、電気通信事業法で定められているようだ。
 電気事業便覧によると、平成17年3月現在の10電力(沖縄が入る)で2,080万本も電力柱があるとか。ちなみにNTTの電話柱は1,188万本。これらのうち、私有地や道路に立っている柱はどのくらいあるか知らない。
 支払い事務の簡素化のためか、3年に一度、まとめて振り込むらしい。

「すみやかに」2

2006-08-26 15:29:23 | Weblog
「直ちに」や「遅滞なく」と違って、「すみやかに」は不作為の責を負わないから、役所や公約は隠れ蓑に使う。ところが、ある県の地裁は次の公文書公開の判決を出した。

「『すみやか』との文言が意味するところの期限が、公文書の量、内容、他の業務の繁閑により、一定程度左右されることは否定できない」と「すみやかに」の法令用語に理解を示しているが、その後がよろしい。「しかしながら県の不作為状態は長期かつ原告に公開日時の具体的な予測をも得させないものなので、公開の具体的義務の履行期は到来しているものと評価されてもやむをえない」として原告の主張を認めている。「すみやかに」は枕ことばでも修飾語でもないという判断だ。
 
 新聞記事のこの文の抜粋しかとっていなかったので、詳しくは覚えていないが、多分「公文書はすみやかに公開する」といった県条例があったのでしょう。そこで、知事の交際費か何かの公文書の公開請求をした。しかし県は意識的に先延ばしをしていたのでしょう。役所の仲間内では、隠蔽や保身は「知る権利」よりも大事なのですな。それで業を煮やして、県を訴え、勝訴したということ。

「すみやかに」にも判例ができたわけで結構だが、行政は重く受け止める考えなんぞないでしょう。NTTの組織再編に興味はありませんが、結論がでるとは思えませんわ。