本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

2005年回顧

2005-12-31 11:39:59 | Weblog
 東北のさる県都に生まれ、東京で勤務生活を過ごし、この7月、縁あって九州の田舎町に転居してきた。この地を終の棲家と定めている。
 夏、川の瀬音、満天の星、オニヤンマに忘れていた郷愁が沁みてきた。蚊取り線香も遠い記憶を呼び起こした。猫がヤモリ、トカゲ、モグラの子をくわえてきて仰天した。
 秋、あぜ道に彼岸花が咲き競って目を楽しませた。山間の道脇の斜面に自生するアケビや豆柿に思わず快さいの声を上げた。またサンキライ、ヒヨドリジョウゴ、ノイバラの熟れた紅い実が目をなごませた。そして、都会と違ってゆるりとした紅葉の深まり方を味わった。
 冬、思いもしない降雪が続き、生まれ故郷にタイムスリップした。
 指呼の間に伏流水の湧水があり、これで淹れたコーヒーを飲みながら、朝霧の風景を眺めるのはまことに至福である。
 私の今年の回顧は、政治や経済や国際の事柄のインパクトではない。乾いた都会から豊潤な自然へ回帰したことに尽きる。
 さらに言えば、東北も九州も自然の移ろいは通低しているとしみじみ思う。


価値ある空くじ

2005-12-29 12:58:30 | Weblog
 二年前のことである。東京・有楽町駅前の小さな売り場でサマージャンボ宝くじ(全国自治宝くじ第461回)を買った。2等一億円の当せん番号とドンピシャリである。おっと、うらやんではいけません。組違いだった。当たり組は21組、私の宝くじは無情にも18組。当たり番号(121403)を「人にいい世なしさ」と語呂合わせをして嘆息したものだ。
 それにしても、1等には少ない額ながら組み違い賞があるが、2等にはない。3等は賞金の桁が二つも違うから納得できるが、2等の扱いは不当ではないかと八つ当たりしたものだ。
 世の宝くじファンに、当たり番号を祈願するときは、ぜひ組み番号も忘れずにと申し上げたい。無念のあまり、今もその無価値の宝くじと当せん記事を持っている。話のタネの証拠になるが、人は、まァ、残念ですねと言いながらも、かすかにほっとした顔つきをする。その意味では、価値ある空クジかもしれない。


だんこんの世代

2005-12-21 08:23:32 | Weblog
「だんこんの世代」と耳に聞こえてきて少々たじろいた。むろん、「弾痕」を想像したからではない。そもそも団塊の「塊」は何と読み違えたのかな。「魂」と思うが、こればかりは本人の魂胆を訊かねばわからない。
 それにしても、畳韻(熟字音のそれぞれの字音後半の子音が同じというやつ)は耳に響くものですな。魂胆もそうだが、混沌、拙劣、決別、辟易、殺伐、告白など。これはネガティブだが、約束、爛漫、新鮮、現金なんぞはこころよい。いずれにしろ、「だんこん」は耳が遠くなったにもかかわらずスーと入ってきますわ。

忘年の会の話題

2005-12-19 20:13:08 | Weblog
 忘年の会という月例会に出ている。忘年会ではない。毎月第三日曜日が月例である。この地域の老いも若きも年を忘れ、気楽に一杯飲もうということだ。設備屋あり、コンニャク製造業あり、タクシー会社 (といっても3台しかない) の社長あり、土建屋あり、建具屋ありといった面々で、さしずめ田舎町の縮図ですな。むろん、やつがれも含め「サンデー毎日」族もいる。まァ、知人のいない町に来て、顔つなぎのきっかけにしている。
 徒歩3分で往還できる居酒屋だから泥酔も厭わないが、この道はまことに淋しい。片や川筋、片やひっそりとした家並みである。
 さて、建具屋のおっさんは鹿撃ちの名人とか。今の時期、冬に備えて秋の実りをたっぷり喰っているから肥えてうまいという。鹿皮も上等(夏は毛が抜けてボサボサ)らしい。この近くでは野鹿がよく出るそうだが、シャーウッドの森かア-デンの森でもあるのかしらん。
 脂の乗った鹿肉をあげますとハンターは言うので、こんがり焼いてロビンフッドのように食してやろうと思っている。
都会と違って、野趣にあふれる飲み話が多いということでした。


思うまま三題

2005-12-11 20:29:02 | Weblog
 近頃怖いもの、
 幼い子への狂気、思い込み激しい小泉首相、虎視眈々の増税、耐震構造怪しげな建物の乱立、無差別自爆テロ、そして免許取立てのかみさん運転のお供。

 明日(12/12)は漢字の日とか。
 車で通る道筋に葡萄園が広がっている。そこに「大蔵巨峰」なる看板が立っている。漢字はどうしても字画の少ないものが目に飛び込む。小生、「大橋巨泉」と早とちりしてしまった。

 在所の近くに棚田がある。傾斜地の利用と灌漑の構造に適っているのだろう。明治期、棚田を見た中国人が「耕して天に至る。貧なるかな」と言ったそうな。そりゃ、国土の広さが桁違いですもの。ただ、当時の清国の人、生産性や合理性に無定見であったともいえる。