本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

村役場の宿直春秋抄(5)

2008-03-11 10:15:00 | Weblog
村役場の宿直春秋抄(5)

飯炊き論争
十月五日の項は「夕飯」と題している。「余は飯を焚(た)かんと準備を終え」たが、たまたま十五分ほどの用向きがあったと書く。その間に「あまりの臭さに驚き見れば、羽釜の中から蒸気と黒烟(こくえん)の揚がること進行中の機関車の如し」となっている。飯を焦がした失敗談である。「鼻をつまみて、強いて食へども食ふことあたわざるもの一椀なりし」と大げさにこぼしている。後述に「愚妻」と触れた箇所があるので、真弓は独り者ではない。それなのに弁当持参も夕飯の差し入れもないとは腑に落ちない。明治のしかも九州男児が恐妻家だったと思えないのだが。
羽釜とは、かまどにかけるために周りにつばのついた釜をいう。役場にかまどがあったわけだ。宿直者の便宜のためではあるまい。その時分、村の尋常小学校は校舎が狭く、分散して授業をしていた。役場にも教室があった。また役場には公民館的な役割もあったかもしれない。父兄の集会、村の祭事に炊事場は欠かせない。

 翌六日に、これも雅号と思われる信義という宿直者が筆を執って「余は五日の記事に一驚を喫したるものなり。何となれば吏員自ら炊事をなしたるという非見識の一事なり。思うに小使の仕事は如何なる事をなすや。炊事はもとより残務もなすものと余は断定す」と記す。炊事も小使いの仕事ではないかという。
 
これに対して八日に反論の筆が走る。「宿直員が炊事をなせることをもって非見識なりと言うは東洋の旦那風には非ざるか、所謂(いわゆる)官吏風には非ざるか。そもそも小使は村のものなりや吏員自身のためのものなりや。村のためのものなるは言うまでもなし」
のっけからいきまく。その後にくどくどと書き続けるが簡単にまとめると、村役場の事務以外には村の小使いを使役しない、自分は薪水の労を億劫としない、それが何で非見識かとなるようだ。公私を区別する姿勢は真弓に理がある。もっとも、反駁が過ぎたか、最後に「失敬多謝」と添えて矛を収めている。
ところで、東洋の旦那風とはどんな風体だろうか。山高帽にちょび髭、べんべんとした腹から懐中時計の金ピカの鎖が垂れ下がっている。そんな感じかもしれない。いずれにしても官吏風のやからと同じように顎をしゃくって人を使うタイプに違いない。
 翌九日、信義はこの筆戦を中止すると記してあっけなく落着させた。真弓の剣幕で毒気に当てられたのだろうか。