本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

古賀氏を悼む

2021-03-31 08:30:09 | Weblog
 古賀稔彦平成の三四郎が亡くなった。癌というが、それでも早過ぎた。

 アメリカのドラマでも「Cancer」(癌)の言葉がよく出てくる。胃がんか肺がんか何がんかわからないが、単にカアンサァーと話している。それだけ多い病因なのだ。

 古賀氏の切れ味鋭い技の背負い投げは見事だった。私も柔道をかじったことがあるので、
 彼の柔道はスポーツというより武道であったように思う。勝ち負けの前に対峙する精神が横溢していた。

 どうも柔道がオリンピックの種目になってから武道というより単なる競技になってしまったような気がする。
 田村から結婚して谷になった彼女は、勝ってぴよんぴよんとうさぎ跳びをしたし、柔道を功利的に利用して俗臭まみれの政治屋になった。まことに武道と縁遠い。おだててそのように仕向けた面々もワルだが。

 山下JOC会長も同様ではないか。武道としての精神文化を持つ柔道家として後進を指導することを本分であるべきだが、オリンピック向け全スポーツのボスになんぞになるとは思いもよらなかった。

リバプールの思い出

2021-03-30 08:49:08 | Weblog
 ここに金メッキの記念メダルがある。ヘッド(表)はビートルズの4人を刻し、ティル(裏)は、当然ながら英文で「ビートルズ誕生の地リバプール」と刻している。

 旅先のスコットランドのグラスゴーからロンドンに住むジョンに電話をした。話は会う日の一件だ。むろん、イギリス旅行中を知っている。

 ジョンはリバプールで途中下車して両親に会えばと言う。彼が東京に居たとき、訪ねてきたその両親を私はもてなしたことがあるのだ。
 
 ジョンがオヤジさんに到着時刻を教えていたのか、リバプール駅にオヤジさんが迎えにきていた。家に行くとオヤジさんの連れ合いレイチェルさんがいて懐旧のひと時を過ごした。

 そこにジョンの姉のアンジュラさんが実家に帰ってきた。きれいなイギリスのお嬢さんだった。私が弟の友だちと知って、わざわざリバプールの街を案内してくれた。その時のお土産が冒頭の記念メダルである。

 いまでもメダルを手慰みに机の上でくるくる回している。それよりも一緒に写った写真を大事に持っている。20年も前の写真なのに。

大相撲春場所

2021-03-29 08:08:56 | Weblog
 照ノ富士は春場所で優勝した。大関も手に入れたようだ。いや、再び戻ったということか。なにしろ、大関から序二段まで陥落して、また這い上がったのだから。
 横綱不在の場所だが、劣化してきた両横綱だから、たとえ万全で出場していたとしても互角に闘えただろう

 ところで、序二段はもとより幕下以下には給料はない。関取(十両以上)の付け人として関取や親方から小遣いをもらうだけだ。相場はどのくらいか知らない。また、懸賞金からの分け前もあるだろうから付け人にも運不運があるだろう。
 まぁ、三食寝床(相部屋住まいだが)付きだから生活の最低保証はあるわけだ。

 それでも、付け人は関取のまわしの洗濯をするし、風呂場で背中を洗い、ちゃんこ作りの当番をこなし、配膳から飯盛り等々下働きが多い。大関を張ったことがあっても付け人の下働きは免れないはずだ。大相撲は年齢に関係なく、地位だけがものをいう格差社会なのだ。
 
 まわしの話がでたついでに「前みつ」のみつとは「褌」と書く。「ふんどし」のことと知った。
 それはさておき、照ノ富士関の来場所が見ものだ。

特攻隊員

2021-03-28 08:38:02 | Weblog
 小学高学年の生徒が対象と思うが、鹿児島県の知覧に連れていくそうだ。むろん、行く先は「知覧特攻平和会館」だろう。課外授業の一環だろう。

 特攻の隊員は志願だろうと思っていたが、実際は強制だったと書いた本がある。「必殺攻撃命令への志願」の名目で志願は拒否できなかったという。

 拒否したくても臆病者として故郷の家族は白い眼で見られる。家族は人質に取られたようなものだ。
 それでもなかには特攻機に乗り込むことを嫌がり、小便を漏らした隊員もいたそうだ。

 家族の遺書のほとんどは皇国のために散華する名誉について書かれたが、これも強制みたいなもの。なにしろ検閲を受けるから泣き言を書けば作戦批判としてボツにされる。

 決死の覚悟で臨んだ隊員もいたのは間違いない。けれども否応なしに強要された隊員もいたことは確かだ。特攻隊員の名誉を傷つけるつもりはないが、美化することもない。

 むしろ、見学の小学生たちは会館に行って、特攻隊員は死ななくてもよい人生を戦争の犠牲になった人たちとわかればよい。


司会者か出席者か

2021-03-27 08:03:51 | Weblog
 毎月最終金曜日の深夜放送「朝まで生テレビ」を録画した。長年観ているが、いつまで高齢の田原総一朗が仕切るのだろう。

 先月の場合もそうだが、出席者の発言を途中で切って、自分の政治家とのエピソードを自慢気に話す。野党なかんずく共産党をばかにする。
 それでも余人をもって変えられないと考えているのだろうか。

 以前から我田引水的な発言が多いせいか、あるとき「その司会は出しゃばりすぎる」といった趣旨の投書がたくさん局に届いていたようだ。というのは居側から「田原氏は出席者のひとりとしての立場」という弁解をしていたからだ。発言者のひとりだから議論に加わって当然ということらしい。
 誰もが司会者と思っているだろうけれど。

 本来、そのときのテーマに合わせて専門的知識のある人物を適宜司会させてはどうかと思う。
 とりあえず、録画を再生してみるか。