本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

言葉は文化の鏡

2005-06-29 09:47:26 | Weblog
 言葉は文化を映す鏡である。文化と無縁のように思われる言葉にも、その実、文化を色濃く映しとっているものだ。日常の変哲もない言葉にも、他国語と対比すれば、それぞれ固有の文化がみえてくる。
断っておくが、音韻学や音声学の視点による文化の違いではない。また、屈折語や膠着語というそれぞれの母国語の特徴から文化を覗くものでもない。単に、生活用語に固有の文化がみえるということだ。

 牛の胃袋は言うまでもなく四つある。ところが日本語にはこの四つの胃袋を特定する言葉はない。獣医学的な専門用語については知らないが、少なくとも一般に通用する名称はない。
察知されたとおり、韓国料理店では、第一の胃をミノ、第二の胃をハチノス、第三の胃をセンマイ、第四の胃をギャラと識別している。しかし、焼肉屋に出向かない限り、日本人には馴染みのない言葉だ。要するに日本の食文化を映し出していない。
 見方を変えると、韓国料理では牛の四つの胃は食材として分類されている。つまり、韓国固有の食文化を強く反映しているといえる。そもそも牛の部位の名称は、韓国語が世界一多いという。それだけ部位を細かく分類しているわけで、偶蹄類は韓国の食文化に欠かせない証左であろう。

 日本は魚への思い入れがある。なにしろ成長するにつれて呼称変える魚がいる。いわゆる出世魚である。
 ブリはワカシ、イナダ(関西ではハマチ)、ワラサと名前を変えた後の魚名である。スズキはセイゴ、フッコの順を経た呼び名である。ボラはハク、スバシリ、イナの次の呼称であり、成長の最後はトド、かくして「とどのつまり」となる。
 出世魚はその名のとおり出世昇進の魚としてめでたいものとされている。
しかし、それだけであろうか。思うに、出世魚の呼び名は、その旬の食材を生かそうとする日本の食文化を映し出しているのではないか。イナダは夏場が旬だ。冬は味が落ちるから、その時季、イナダは食材に適さない。他方、ブリは冬場に脂がのる。なんたって寒ぶりの言葉があるほどだ。
 ちなみに、モンゴルでは、羊は成長するにつれ呼び名が変わるという。出世魚の発想と似ている。食文化との関連があるか知らないが、少なくとも遊牧の民が育んできた文化と深い係わりがあることは想像に難くない。

 食文化に限らず、文化にゆかりがなさそうに思える言葉が、実は文化を裏打ちするものかもしれない。その手がかりには他国の文化が反射鏡になる。他国間との文化の交流が大切だと思う所以だ。