本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

日本語基礎講義(その13)

2009-02-28 09:49:07 | Weblog
 前回は用字のひとつであるカタカナの話でした。今回は漢字の使われ方の話です。
 漢字を二つ以上組み合わせると熟字ができますね。熟字には音読み漢字でてきた塾字音、訓読み漢字でてきた熟字訓、それに音読みと訓読みが混用した熟字があります。
 
 塾字音と熟字訓の違いは、「生物」や「最中」や「春風」で分かりますね。「せいぶつ」、「さいちゅう」、「しゅんぷう」と読めば塾字音、「いきもの」、「もなか」、「はるかぜ」と読めば熟字訓になります。早い話、音読みの連続か、訓読みの連続かということです。
 
 音読みと訓読みが混ぜこぜになった熟字には、面白い名がついています。例えば、頭取は「あたまどり」でも「とうしゅ」でもなく「とうどり」ですよね。つまり、前の語は音読み、後の語は訓読みです。これを「重箱読み」といいます。「重(じゅう)」の音読み+箱(はこ)」の訓読みというわけです。相場、新手、蛇口、常宿、万年雪もこの例です。

 一方、消印はどうでしょう。「しょういん」でも「けしじるし」でもありません。「けしいん」と読みますね。重箱読みと反対に、訓読み+音読みの熟字になっています。これを「湯桶(ゆとう)読み」といいます。ちなみに、湯の音読みは「とう」、桶の訓読みは「おけ」ですね。見本、雨具、手本、甘党、辛党などもこの例です。

 この続きは次回にしましょう。

結婚・離婚・再婚

2009-02-27 10:38:54 | Weblog
 知人のメール・マガジンに、本からの紹介として『 結婚は、判断力の欠如! 離婚は、忍耐力の欠如! そして、再婚は、記憶力の欠如!である 』とあった。なるほどねぇ。

 これをもじって「結婚は、家事従事者の確保、離婚は、自由気ままの確保そして再婚は、介護従事者の確保」と与太を飛ばすと、女性から総スカンを食らいますな。

 そうそう「結婚は人生の墓場」というようだ。ならば、離婚は人生の自由劇場、再婚は人生の地獄への再入場かな。
 いや、人生の重大事を茶化してはいけませんわ。

書き込み千件

2009-02-26 09:06:23 | Weblog
 昨日2月25日で、このブログの書き込みが千件になった。
 2004年11月4日が最初、この年は2ヶ月しかないから計12件の書き込みはこんなものだろう。翌年は丸々1年だが、たったの37件だから、当初は、それほど気張って書くつもりではなかった。
 ヒマさえあれば、つまり毎日のことだが、せっせと書き出したのは、その翌々年の2006年5月以降である。転居して10ヵ月目、田舎暮らしで無聊のせいだ。
 とにかく、塵、芥のようなしょうもない雑文だが、積れば山となるということだ。

 私は日記を付けたことはないし、そもそも日記は苦手だ。日記はその日の事柄が中心になる。同時に、その日の内か翌日までに仕上げるものだからだ。
 
 その日の事柄に特化せず、場当たり的に書け、興に乗って三日分ぐらい書き溜めができる。イヤなら書かない。こういうやり方だから続けられる。
 また、ボチボチと件数を積み上げていこう。

貝と介

2009-02-25 09:28:15 | Weblog
「貝」の文字はうず巻に盛り上がった巻貝を指す象形文字なので、サザエやタニシは「貝」だが、アサリやハマグリは巻貝ではなく二枚貝だからこの「貝」に属さない、とある本にあった。
 しからば、二枚貝はどんな字で表すかといえば「介」という。この文字は二枚の間に何かが挟まれた様を表す象形文字とある。確かに「介」の字は二枚貝っぽい。魚屋ではサザエよりアサリやハマグリが多い。だから「魚貝類」ではなく「魚介類」なのか。

 しかし、漢和辞典には「貝」は「水中に住む殻を有する軟体動物の総称」とある。当り前ながら二枚貝もやはり「貝」であって、そんな厳密な区別はない。

 ついでに「介」を引くと、字義のひとつに甲羅がある。となれば、「介」はエビ、カニの類いではないか。「魚介類」とは魚とエビやカニの甲殻類と考えられる。
 なお、この辞典に「介」はよろいの中に入った人の象形文字で、よろい、なかだちの意味とある。それで、よろいは甲羅で、なかだちは介護や仲介となるわけだ。
 
 さて、「介」は「二枚の間に挟まれた何か」と「よろいの中に入った人」という二つの解釈があることになる。どちらに軍配が上がるか。このままでは、二枚貝か甲殻類か判然としない。

指導者

2009-02-24 10:00:10 | Weblog
 中野正剛は、昭和18年元旦の朝日新聞に次のように書いた。
「国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず、指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷うことにより滅びるのである」

 これに激怒して東條首相は朝日新聞を発禁処分にした。なるほど、肝っ玉の小さい、自信のない東條の行為だ。それにしても、開戦1年ほどで敗戦を論ずるとは慧眼である。
 なお、その年、中野正剛は割腹自殺している。

 今の首相はことごとく発言がぶれる。自信がない証左だ。低支持率からみて国民は帰趨に迷っていないのが幸いだ。
 それにしても、福岡県出身の中野正剛は同県人の麻生にがっかりしたに違いない。