本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

村役場の宿直春秋抄(16-2)

2008-03-30 09:15:26 | Weblog
村役場の宿直春秋抄(16-2)

 憶測を述べたい。日田郡役所には情報は入っていたと思う。役所には「使送」という手段がある。字義通り使いの者に持たせて文書を管轄先などに送ることである。情報高速化が進んだ今日では形骸化してしまったが、当時、その手段を使って、戦局や戦病死者の情報が郡役所から届いたと考えられる。あるいは村役場からも報告書などを小使いが持参していたかもしれない。
 そのどちらかのタイミングで全権委員の任命発表の情報を入手したのではないか。

 郡役所の制度は大正十二年まで存在した。日田郡役所は日田町にあった。このことは日田に農林学校の設立が認可された明治三十五年に、設立準備の事務所を日田郡役所に置く、と学校沿革(『日田林工高校百周年記念誌』)にある。ただし、使送の仕組みがあったとしても日田・大鶴村間の徒歩は生易しいものではないとすでに述べた。戦局の情報は日田町から光岡村、夜明村、大鶴村の順でリレー式に伝えたのではないか。むろんこれは思いつきにすぎない。やはり、大鶴村までひた走りに走ったか。

 筆録に引き返す。真弓は和平交渉の報を慶賀するとしながら、舌鋒鋭くこう続ける。「然りといえども我が国民は決して之を耳にかすべからず。もとより委員の会合ありといえども必ずしも平和克復と限りたるものに非ず。第一次、第二次の会合において決するものに非ず。日清戦争においてさえ第三次の会合において決せり。況(いわん)や陰謀詐術に長じたる露国においておや。宜しく国民は當初の目的に向かいて猛進すべし。樺太を略取せよ。浦塩(ウラジオストック)を屠(ほふ)れ。角力(すもう)の勝敗は土俵際において決す」
 交渉を焦るな,騙されるなと力説する。見識の持ち主である。