本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

村役場の宿直春秋抄(8)

2008-03-16 10:15:43 | Weblog
村役場の宿直春秋抄(8)

年頭の所感
 明治三十八年になった。元日の項は「一月一日と言えば非常に芽出度ような気もするが、実は平生と一向変わることはない。格別に之を祝する理由はない」といささか素っ気ない。ついで「年の始めで潔白な心持が能(よ)いという人は、旧年中は非常に不潔白にありしことの證するものである」と屁理屈を述べる。元旦の当直に不満だったのだろうか。
 十二月からまた旅順総攻撃に突入している。元旦に戦勝祈願の一言があってもよいと思うのだが、何も触れていない。もっともこの元旦に旅順のロシア軍は降伏した。旅順陥落である。

 この正月四日付けの乃木将軍の書状がある。寺内陸軍大臣に宛てた年始状である。「新年の御慶目出度申納候。然れば久々御無音に打過候處(ところ)、実は弾丸と人命と時日の多数を消費しつつ埒(らち)明き不申候為、唯々苦悶慙愧(ざんき)の外無之候 漸(ようや)く須将軍(ステッセル将軍)も、根気負けの気味にて開城致しくれ、當方面の一段落を得候。 無智無策の腕力戦は、上に對(たい)し下に對し、今更ながら恐縮千萬に候…」(『書簡文講話』大正7年発刊)
 
 乃木希典は多大な戦死者を出したため愚将の評がある。その是非はともかく、この書状から当人も無智無策を自認している。乃木将軍がステッセル将軍と旅順近郊の水師営で会見したのはこの五日のことである。