本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

読んだ気がする

2007-04-30 08:42:53 | Weblog
 外国の小説を手当たりしだい濫読している。スリラー、サスペンス、スパイ物、冒険物といった分野だ。家にあるこの手の本は、優に600冊を超える。そのほとんどは文庫本である。ハードカバーは図書館から借りる。これが問題である。
 
 その前に、気に入った作家の小説はほとんど読んでいると思う。PC上で図書リストを作ったが、5作品以上購入した作家を順不同で上げてみる。スチュアート・ウッズ、ディーン・クーツ、ロバート・ラドラム、ウィルバー・スミス、デボラ・クロンビー、パトリシア・コーンウエル、コリン・フォーブス、A.J.クイネル、アーヴィング・ウォーレス、アーサー・ヘイリー、イーヴリン・アンソニー、クライブ・カッスラー、ジェフリー・アーチャー、ジョン・J・ナンス、フィリップ・カー、ボブ・ラングレー、リドリー・ピアスン、J・C・ポロック、クリス・ライアン、デズモンド・バグリイ、ピーター・ラヴゼイ、フィリップ・マーゴリン、マイケル・バー・ゾウハー、ウイリアム・カッツ、スティーヴン・ハンター、ネルソン・デミルなど。これらの作家の本は、文庫版になればすべて買う。
 
 さて、図書館のハードカバーはなぜ問題かというと、購入リストにないから読んだかどうかあやしいのだ。つい最近、上述の作家の小説を借りてきた。01年の初版だ。通常、ハードカバーは3年程度で文庫になるが、文庫が出た気配がない。
 ところが読んだような気がする。となると図書館から借り出したか。断っておくが、同じ図書館ではない。借りたとすれば、川崎在住の頃の区立図書館だろう。
 しかし、30頁を読んでもまだ覚束ない。再読してもよいのだが、記憶の不確かさに腹が立つというわけ。

韓国の知合い2

2007-04-29 09:39:43 | Weblog
 仕事で知り合ったのがコンサルティング会社の李部長。その後、彼は2度も転職している。韓国はアメリカ的転職の社会にあるのか知らない。ただ、40代と若く、英語、日本語ができるから有能だろう。 
 ソウルに行って、前触れもなく電話をしても必ず飲みに付き合ってくれる。息子と娘を連れてきたことがある。外国人に会うことが大事だからという。なるほど、顔貌が似ていても日本人は外国人に違いない。そういう発想はユニークだと思う。彼のメール・アドレスは「henry@」である。わけを訊くと李は李朝につながる。それでイギリス王朝に多いヘンリーにしたとか。エドワードでもリチャードでもよさそうだが。

 孫牧人(ソン・モクイン)氏はこのブログの2回目で書いた。日本名は久我山明という。朝鮮の国民的な歌謡曲「木浦の涙」の作曲家として知られているが、日本人に馴染みの深い曲は、「カスバの女」に尽きる。すでに故人だが、彼の晩年に何度か東京とソウルで飲んだ。来日すると、赤坂のピアノ・バーで「カスバの女」を弾くのが恒例だった。
 この方との出会いは、以前からの知り合いである盛岡冷麺の元祖の店主(日本に帰化したが朝鮮出身、「アボヂ」と呼んでいた)を通じてだった。孫氏を盛岡まで連れて行ったこともある。
 大韓航空がロシア機に撃墜された時、小生、この事件を「エアポートのオモニ」の題で作詞した。空港で帰りを待っていた母親の嘆きだが、我ながら「岸壁の母」っぽい。これに孫氏が曲を付けた。しかし、どんな旋律か忘れた。

 徐さんは相当の年配、この方もアボヂを通じて知り合った。こっちがヒマの折にしか連絡しないが、その都合でも飲みながら話し相手に付き合ってくれた。漢江に死体が累々と浮かんでいたという朝鮮戦争の話が強烈だった。

 釜山のIT会社の社長とは、昨年、釜山に出かけた時、街でばったり再会した。しばらく交流が途絶えていたが、機会をつくって飲みたいと思っている。
 他にも様々な交流があったが、閑居すれば歓談の機会が減る。日本でもそうだが、ましてや韓国ですから。


韓国の知合い

2007-04-28 12:52:06 | Weblog
 韓国を最初に訪問したのは四半世紀前だ。麻布の領事館で査証申請するという厄介な頃からである。
 韓国との付き合いは長いので、友人、知人ができた。
 
 東大門の河ハラボヂ(おじいさん)とは、偶然、食堂で知り合った。北海道に住んでいたことがあるそうで、日本語は達者である。家にも泊めてもらったこともある。訪ねると、奥さん手製のキムチを大量に持たせる。味はとてもよいが、重いのでちょいと閉口する。が、好意を無碍にできない。日本からのお土産は、希望により救心と正露丸である。漢方ならぬ韓方に豊富な薬草製品があるだろうが、これがお気に入りだ。救心は奥さんの母親用だった。その後、転居の手紙が届いたが、ここ数年、会っていない。健在であれば、訪ねてみたい。

 金英愛アガシ(ヤンと呼んでいる)は妹と利泰院で雑貨の店を経営していた。その後、店を処分してミラノに居住し、4年前イタリア人と結婚した。だからアガシ(お嬢さん)ではなくアジュマ(おばさん)になった。前に書いたが、ナポリ(ご主人の故郷)の式には夫婦で参列した。その翌年、韓国に里帰りした折の披露宴にも出た。久方ぶりに妹さんにも再会した。翌日の夜、ヤン夫妻、妹夫妻、その姉妹のオモニ(といっても50代の母親だ)、そして我ら夫婦で食事とカラオケで盛り上がった。今でも、ヤンとはEメールをやり取りしている。「Ottosan, Okasan How are you? 」がいつもの冒頭文である。
 ハイ、今日はここまで。

干支と元号

2007-04-27 16:43:39 | Weblog
 日本で、干支紀年法(つまり十干と十二支の組合せ)を用いた歴史事項は「壬申の乱」と「戊辰戦争」ぐらいかね。元号は大化の改新(645年)の「大化」を祖としているようだから、672年(これ、ろくな(67)な二人(2)の兄弟争いと覚えたものです)の壬申の乱は元号を用いてもよさそう。なんという元号か知りませんが。
 戊辰戦争も元号の慶応戦争でいけないのかね。慶応大がクレームをつけるかな。
 
 秀吉の朝鮮出兵は、元号を用いて文禄の役、慶弔の役としている。一方、朝鮮では壬申倭乱、丁西再乱というそうだ。これは干支紀年法ですな。一説によれば、中国の属国であったため、元号を持っていなかったとある。新羅、高麗の時代は独自の元号があったようだから、その後、中国の元号を用いるくらいなら、干支紀年法によったほうがよかったのでしょう。
 北朝鮮は金日成の誕生年の1912年を元年とする主体紀元も採用していますね。それでは壬申倭乱(1592年)は1912-1592で、主体紀元マイナス320年あるいはB.K.320年となるのかね。BKはむろんB.C.をもじったbefore Kimですけど。

 いずれにしろ、干支紀年法を教えず、辛亥革命といっても分かりませんわ。ひのえうま(丙午)だけが分かる程度。きのえね(甲子)も甲子園の起源とは思いもよらない。

公民館の決算報告

2007-04-26 10:49:26 | Weblog
 自治会の4月常会に出た。前年度の公民館決算報告があった。
 下水道料金だけが11ヶ月分である。わけを訊けば、3月分は月末が土曜日だったので、4月2日に口座引き落としされたからという。これを経費に参入すると、3月末現在の繰越金残高と合わなくなるのですね。要するに、発生主義ではなく現金主義、昔の大福帳方式だった。今年度は13ヶ月分が支出となりますな。

 その繰越金がごっそり残っている。自治会費やらの収入に対し支出が半分もないから繰
越が増えていく。だったら、有効な費用支弁を図るか自治会費を下げるかの考えがあってもよさそう。ただ、公民館の補修が念頭にあるとか。なるほど台風の多い所です。ならば、繰越前に毎年度、一定額を補修引当金として積み立てればよさそうだが、そこが、どんぶりになっている。

 その台風などの災難時に備えて、必要な器具(どんなものか知りません)や簡易物置も求めたい。ついては皆さんの賛否はどうかという。総論は賛成だろうが、藪から棒にこんな白紙の状態で問いかけるところが田舎らしい。必要な器具と大まかな見積り経費を提示して、各論も納得するものですがね。

 と、あれこれ思いましたが、わたしゃ、黙していました。田舎のやり方にケチを付けてもしょうがありませんから。