本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

村役場の宿直春秋抄(10-2)

2008-03-20 14:16:30 | Weblog
村役場の宿直春秋抄(10-2)

 旅の項に戻る。久留米に着いた真弓は、さらに久留米駅を午後一時二十分に発って、鳥栖駅で十五分後に乗換え、吉塚に三時に到着した。大鶴村民にとって、明治時代の博多行きは大旅行だ。その翌日、「福岡支部武徳殿」の落成式に列席している。それが旅行の目的だった。

 雑談を挿む。武徳の涵養と武術の奨励を図る大日本武徳会が発足したのは明治二十八年のこと。その支部が全国に展開する。福岡支部の武徳殿の落成は十年後になるわけだが、それでも全国的にみれば武徳殿の完成は比較的早いようだ。
 その祭典に村役場の吏員が招かれた。村長の代理出席かもしれない。それでも県が違う村の招待を思えば、大日本武徳会福岡支部の名の下に大鶴村を福岡県に囲い込む意図があったのではないかと深読みしたくもなる。
 博多からの帰途の行程がすさまじい。「十二日午後六時二十分の汽車にて二日市に着すれば時は午後七時なり。それより徒歩甘木、比良松、志波、杷木を経て翌十三日午前二時三十分帰宅せり」
 なんと二日市から七時間半、五十キロ余の道程はあるのではないか。しかも「暗夜行路」だ。明治人の根性を思えば「明治は遠くなりにけり」の感が強い。
 なぜ、帰りのコースは違ったのか推測はつく。夜中に久留米に着いては、そこから吉井までの馬鉄は運行していないはずだ。また夜間、筑後川の渡し場にも渡し守がいないということではないか。徒歩であれば、二日市からの距離は久留米からのそれと似たようなものだ。(この項続く)