平成元年は1月8日から始まる。遡ると、昭和元年は12月25日から、大正元年は7月30日から始まる。
明治元年はややこしい。実際は慶応4年の9月8日に改元したのだが、この年の1月1日から明治の元号とみなした。しかし、まだ太陽暦を採用していないので、この元日は西暦では1868年1月25日となるようだ。
鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)は西暦1868年1月3日に起こった。となれば、この戊辰戦争は和暦年表では慶応4年とも明治元年ともしているが、西暦からみれば、また慶応3年の出来事になる。
西暦換算はともかく、元号の変わり目を調べてみると、文政13年12/9→天保元年12/10、天保15年12/1→弘化元年12/2、弘化5年2/27→嘉永元年2/28、嘉永7年11/26→安政元年11/27などとある。むろん、他にもあるだろうが、ここで特記されたのは、その変わり目が年の初めか年の暮れに当たる。
一体、改元を発する情報は、たとえば北海道の松前藩や九州の薩摩藩にどれだけのスピードで届いたのだろうか。その遅れに、元号に齟齬が生じるのではないか。
地方の古文書の年月を眺めていると、ついそんなことに思いがいったことでした。
明治元年はややこしい。実際は慶応4年の9月8日に改元したのだが、この年の1月1日から明治の元号とみなした。しかし、まだ太陽暦を採用していないので、この元日は西暦では1868年1月25日となるようだ。
鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)は西暦1868年1月3日に起こった。となれば、この戊辰戦争は和暦年表では慶応4年とも明治元年ともしているが、西暦からみれば、また慶応3年の出来事になる。
西暦換算はともかく、元号の変わり目を調べてみると、文政13年12/9→天保元年12/10、天保15年12/1→弘化元年12/2、弘化5年2/27→嘉永元年2/28、嘉永7年11/26→安政元年11/27などとある。むろん、他にもあるだろうが、ここで特記されたのは、その変わり目が年の初めか年の暮れに当たる。
一体、改元を発する情報は、たとえば北海道の松前藩や九州の薩摩藩にどれだけのスピードで届いたのだろうか。その遅れに、元号に齟齬が生じるのではないか。
地方の古文書の年月を眺めていると、ついそんなことに思いがいったことでした。