小林一茶の日記を直に読んだことはないが、雑誌などに掲載されたその日記を拾い読みしたことがある。
54歳の時の日記に「夜三交」とあるそうだ。つまり、浜ちゃん流に言えば、かみさんと3回「合体」している。これが1日でもすごいのに、調べてみると、文化13年の8月15日から19日まで、毎晩夜三交とある。さらに藤沢周平の『一茶』を読むと、同年8月8日に触れて「夜五交合」とある。
30歳の菊さんと2年前に結婚したばかりだが、それでも、これは一茶の誇張でしょうよ。
貧乏人の子沢山という。お金がないから遊びも酒もままならない、それでつい、夜のお楽しみとなって子どもができる、と聞いていたが、ある本では、実は粗食が元気の素だから精力的なのだとあった。なるほど、べんべんとしたお腹の美食家を想像すれば、色気より食気かと思ったりする。
一茶は50歳ごろに帰郷したが、以前の江戸では俳諧の仲間や俳句好きの金持ちに頼って辛うじて暮らしていた。故郷に戻って、遺産の田畑があっても自ら耕す経験も能力がない。小作からの上がりと俳諧の胴元みたいなことで細々暮らしている。要するに粗食の生活である。
あの歳で子どもが3人(ただし、みんな夭折した)もできたわけだから、一茶は絶倫だったことは確かでしょうね。
54歳の時の日記に「夜三交」とあるそうだ。つまり、浜ちゃん流に言えば、かみさんと3回「合体」している。これが1日でもすごいのに、調べてみると、文化13年の8月15日から19日まで、毎晩夜三交とある。さらに藤沢周平の『一茶』を読むと、同年8月8日に触れて「夜五交合」とある。
30歳の菊さんと2年前に結婚したばかりだが、それでも、これは一茶の誇張でしょうよ。
貧乏人の子沢山という。お金がないから遊びも酒もままならない、それでつい、夜のお楽しみとなって子どもができる、と聞いていたが、ある本では、実は粗食が元気の素だから精力的なのだとあった。なるほど、べんべんとしたお腹の美食家を想像すれば、色気より食気かと思ったりする。
一茶は50歳ごろに帰郷したが、以前の江戸では俳諧の仲間や俳句好きの金持ちに頼って辛うじて暮らしていた。故郷に戻って、遺産の田畑があっても自ら耕す経験も能力がない。小作からの上がりと俳諧の胴元みたいなことで細々暮らしている。要するに粗食の生活である。
あの歳で子どもが3人(ただし、みんな夭折した)もできたわけだから、一茶は絶倫だったことは確かでしょうね。