ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「こどもの日」に

2014-05-06 07:19:47 | 日記
五月五日・「こどもの日」
曇ってはいても、イベント広場には子ども達の歓声が響き、鯉のぼりが色とりどりに風をはらんでいます。
でも、観ている私の心は曇天。
最近の政情にたいしての不安が、灰色のフィルターとなっているからです。
眺めている後期高齢者の私は、この子どもたちに何を残してやれるのでしょう。

福島第一原発事故の処理は、いまだに収束への道筋が定かではありません。
原発建屋の中の状況すら把握できていないのに、安倍政権は、原発再稼働の路線を進めています。
「日本の優れた原子力技術」だといって原発を他の国に売り込みを始めています。
世界に冠たる技術を我が国が持っているなら、今すぐに持てる技術のすべてを投入して、
福島原発の事故を収束させてくれるべきです。
トイレの無いマンションといわれる原子力発電を、事故処理もままならぬ状態で、
よくまあ売り出せるものだと、あきれる以上に怒りを覚えています。

除染は少しずつ進められてはいますが、いつになったら元の自然に戻ることができるのか、
新たな危険は生じないのかとの不安は尽きません。
昨日早朝、東京方面に震度5弱の地震がありました。
私の住んでいる辺りは、震度2程度の揺れでしたが、真っ先に気になるのは、
「福島第一原発」に異常が発生しなかったかどうか、ということです。

こうした「不安」を、孫、ひ孫に残して行かなければいけないと思うと、やりきれません。
私が残せるものといえば、築20年を越す自宅と、自分達夫婦の葬式代プラスアルファ―程度の
預金でしかないのです。

でも、私が何よりの遺産として残したいものは、
日本国憲法、第九条(国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する)です。
今、あの手、この手で、安倍政権は改憲を目論んでいます。

恋人のカップルでしょうか、手をつないで私の脇を歩いて行きました。
中学生の男の子数人が、私の脇を賑やかに通り過ぎました。
全員、私より首ひとつほど高い背丈です。
ほほえましくなります。

    『ねえ君たち、明日を生きる君たち、「美しい日本」「強い日本」などと言う言葉に
     惑わされてはいけないよ。
     国際紛争を武力で解決するとすれば、戦うのは君達たちだからね。
     他の誰でもない“あなた”なんだよ』
と、心の中で呼びかけました。

〈ゴマメのばーば〉も出来ることはし続けるから。
「憲法を守れ」「原発は いらない」と、言い続けるから。

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「そのあとの雨」

2014-05-05 07:35:33 | 日記
ほんのちょっぴり雨が降りました。
雨を眺め、庭の柿の木を見ていました。
今年は花芽をたくさん付けています。
多く咲いたから沢山の実がなるわけではありません。
多く咲きすぎますと、木が自ら花を落としてしまうのです。
朝、落ちている花をみますと可哀そうな気もします。
自らの選別から もれてしまった花ですから。
でも、落ちた花も、ながーいサイクルで土に還り、また花になるのでしょう。

眺めていたのは、五月という季節。
3年という時の経過だったでしょうか。
3年前、外の空気を室内に入れないようにと、閉め切った窓ガラス越しに柿の木を眺めていました。
つい昨日のような、ずいぶんと以前の様な気がします。

このところ振り返る「時」が多いのは、5月という旺盛ないのちの萌え出しに、
体力がついていけないせいでしょうか。
それとも、樹々の萌え出しの中に包み込んでいる次の季節(秋・冬)を観てしまうからでしょうか。
3年前、あの頃書き止めたものの一部を今日も掲載します。

    『そのあとの雨』
     雨。
     冷たい風。

     柿の木の新芽に すきとおった小さな水粒の電燈が ポッ ポッ ポッ
     見ると 賢治さんが 透明なマントをはおって枝に腰かけている
     「雨 降ってますよ 放射線 あぶないですよ」と言ったら
     聞こえたのか 聞こえなかったのか 帽子もかぶらずに何かつぶやいている
      【ワタクシトイフゲンショウハ
       カテイサレタ
       ユウキコウリュウデントウノ
       ヒトツノアオイショウメイデス】※
     つぶやきながら
     消えそうな電燈を やさしくゆすったり
     手のひらで温めたりしている
     「その電燈の列 銀河鉄道の窓明かりですか」って聞いたら
     賢治さん やっぱり何も応えない
     雨脚が強くなって 小さな電燈は
     ポトリ ポトリ ポトポト ポトリと落ちはじめた
      【インガコウリュウデントウノ
       ヒトツノアオイショウメイデス
      (ヒカリハタモチ ソノデントウハウシナハレ)】(※)
     つぶやきながら 賢治さんが遠ざかっていく。

     『ポー』と汽笛の音
     「あっ 銀河鉄道」
     ポッ ポッ ポッ
     ポトリ ポトリ ポトポト ポトリ。
                       (※)宮澤賢治「春と修羅 序」から
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今日の「パンダ公園」

2014-05-04 07:37:15 | 日記
若葉の輝きは、まさに奇跡としかいえません。
自宅近くの団地脇に小さな公園があります。
パンダの置きものが幾つか置かれているので、「パンダ公園」と呼ばれています。
団地には、若い家族が多く暮らしていますので、お休みの日や、この季節の夕方などは、
子ども達や母親の姿が見受けられます。
どこにでもある平和な光景です。

子ども達の声は、新緑の舞台で、良く響きあいます。
あの地震と放射性物質が飛び交っていた3年前の五月、公園に子ども達の姿は無かったのです。
今は除染が済んだので、子ども達も砂遊びをしたりしています。
3年前、同じ公園脇を通った際に書き止めたものの一部を掲載します。

        『ざらり』
    晴 そよ風。
    土曜日、公園の昼下がりの舞台です。
    子どもたちのおしゃべり、言い争い、泣き声、母親の叱り声が【いつもの今】という
    シンフォニーを奏でているひと時のはずです。
    でも、子ども達も、母親の姿も見えません。
    シンフォニーの旋律は聞こえません。

    青い空と、緑の若葉の舞台セットで、つつじ、皐月、名もない草花が、五月を詩っています。
    赤・白・桃色・オレンジ。
    お天気がいいので、タンポポも地面に黄色の陣取りをしていました。

    やや歳のいった男が、独りベンチに掛けています。
    前かがみに腰を下ろしています。
    【考える人】(※)のポーズです。
    犬が一匹、男の横に座っています。
    男も犬も表情は見えません。

    耳を傾けると、つぶやきが あちこちから聞こえてきます。
    砂場からも、シーソーからも、パンダの置きものからも。
    閉め切られた窓の内側からも。
    「放射線 こわいからね」
    「ドウシテ ドウシテ ネェ ドウシテ」
    「コワイヨー」
    「大丈夫よ だいじょうぶ」

    気がつくと、もうベンチに男も犬もいませんでした。
    初めからいなかったのでしょうか。
    男が着ていたシャツの色と、犬の毛並みの色だけがベンチに張り付いています。
    形は定かでないのですが灰色のようです。

    あ、透きとおった風が。
    五月の若葉がサヤサヤ さやさや サヤサヤ。
    何かが。
    ざらり。
                    (※)オーギュスト・ロダン制作 ブロンズ像
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「お茶する」ように、憲法学習の集いを。

2014-05-03 07:23:54 | 日記
昨日ウオーキングシューズを買いに行きました。
けっこう歩く方なので、靴もそれなりに痛みます。
靴は念入りに選びます。
ファッションよりは、歩きやすさで選びます。
履き良い靴は、本当に足も身体も軽くなるのです。
何やら靴屋さんの宣伝のようになってしまいましたが、これからが本題。

ついでに、婦人服売り場へ行って見ました。
鏡の前で、手に取ったブラウスを身体に当てて見ていたら、
「いかがですか、試着なさいますか」
と店員の女性が、にこやかに寄って来ました。
しばし、迷っていると、
「これなどいかがでしょう、かわいいですよ」
私は、一瞬、「ドキッ」ではなく、「ぎょっ」としたのです。

「かわいい」はないでしょう、「かわいい」は。
言葉を間違えていませんか。
77歳ですから、「お似合いです」あたりが普通の対応でしょう。
結局、気に入ったものがなくて買わずに店をでました。

「大人可愛い」ということばがあるそうです。
幾つになっても女は、「かわいいが好き」と決め付けられるのも、ちょっとねぇ、と、困惑ものです。

2日付けの毎日新聞「ひと」欄に、
《小さな集いで憲法学習会を開く弁護士、太田啓子さん》を、紹介する記事が載っていました。
埼玉県生まれの弁護士さんです。
カフェや個人宅で「憲法学習会」を続けているそうです。
福島で原発事故が起こった際、2児の母親である太田啓子さんは、子ども達を放射能から守ろうと、
近所の母親たちと一緒に勉強を始めたのが、「学習会」のきっかけだったそうです。
そして政治にも関心を広げる母親たちのために、憲法の学習会を開いているとのこと。
「護」「改」にこだわらず、レストランなどで学習会を開いているそうです。

太田啓子さんの言葉です。
    【おしゃれができるのも平和な世の中だから。
     我が子を戦争に行かせることが、いつの間にか決まってしまった、
     では済まされませんよね】

あぁ、こんなすてきな学習会もあるんだと、感服しました。
確かにそうです。
【おしゃれができるのも平和な世の中だから】ですね。
こうした いろいろな形での憲法学習会を、小まめに、「お茶する」ように、
あそこでも、ここでも、開いて行きたいものです。
この女性弁護士・太田啓子さん、知的で美しい方だと思いました。

今日、憲法記念日です。
                                〈ゴマメのばーば〉
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『解釈を百回しても……』

2014-05-02 07:39:55 | 日記
「オバマ大統領訪日」という舞台を終え、安倍首相は欧州6カ国歴訪へ。
欧州では、「積極的平和主義」をアピールし「集団的自衛権」への取り組みなどを
説明してくるもようです。

『ウソも百回言えば本当になる』
と、いう言葉があります。
安倍政権の「言葉の言い直し・言い回し・解釈の変更」、百回言われても本当だと
納得はできません。
ただ腹正しさが過ぎて、「あぁ、またか」という嫌悪感に落ち込むだけになりがちな私です。

「武器」を「装備品」とする。だから殺傷するモノであっても武器ではない。
「限定的」。ただし、限定の範囲は定かでない実質的無限定。
国民を愚弄した話です。

政府は、集団的自衛権の憲法解釈変更に関する政府方針に、『自衛権』とのみ記述し、
「個別的」とか「集団的」とかの表示をしないことにするもようです。
つまり、日本の存立に必要な措置を講じる権利を「自衛権」と、ひとくくりにするもの。
攻撃を受けたのが自国か他国かにかかわらず、自衛権を行使できると解釈することです。
これは欺瞞行為です。
「自衛」と言えばなんでもできるという、ずる賢いやり方です。

食品はその産地・添加物等を明記しなければ、法律で罰しられます。
先だっての、「食品の偽装表示」騒動では、厚労省も眉をひそめ、対策を講じました。
最高規範たる「憲法」に関する内容を、「偽装」あるいは「無表示」にしてはいけないのです。
憲法を変えたいのであれば、正規な手続きを踏むのがルールではありませんか。

安倍首相の大好きな「昔の、良き日本」の道徳にも、
『ウソはついていけません』
と、あったはずです。
『羊頭狗肉』という言葉もあります。
「目くらまし」という言葉も。
いずれにしても、安倍政権のやり口は、ずるい・姑息・卑怯………そんなイメージです。

安倍首相が、こんなことを言い出すのではないかと、私は不安になります。
     『国民のみなさん。“ものは考えよう”という諺をご存じでしょう。
      貧しくても、年収が200万円足らずでも、心の持ち次第で「幸せ」になれます。
     「清貧」を愛しましょう。
      そして美しい日本を守るために、お国の為に、その心も身体も捧げましょう』
などと。

バスの窓からメーデーの「行進」が見えました。
新緑が最高です。
     ♪晴れた五月の青空に
      うたごえ高く響かせて♪
と、懐かしい歌が聞こえて来たような気がしました。
行進を窓から眺めながら、私自身も、苦言・雑言の域に留まっていてはいけない、
と反省の5月1日でした。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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