さくらんぼが大好きです。
今年はまだ食べておりません。
味そのものはもちろんですが、あの形が何ともいえず可愛らしくて。
「おいしい」
と言って食べるだけでいいものを、そこが貧乏性、
「一個いくらにつくのかしら」
と、毎年考えながら買うのです。
名前が似ているので、『美味しんぼ』を思い出しました。
次号からしばらく休載にするとか。
たしかに、福島県で暮らして行こうと思っている私などにとっては、「鼻血」云々は、
愉快とはいえない表現でした。
「多くの方々が不快な思いをされたことについて、編集長としての責任を痛感しております」
「一連の内容には多くのご批判とご抗議を頂戴しました」
との編集部見解だそうですが、やっぱり「休載」ということになりますか。
愛読者ではありませんでしたので残念とまでは言えませんが、これで不快感が治まると
溜飲を下げて おしまいと言うことにもなりません。
私が懸念するのは、今後、放射性物質に関してや、健康への不安に関して、
あまり語られなくなってしまうのではないかと言うことです。
確固たる化学的根拠に裏打ちされていないと、不安などを声に しにくくなって
しまうのではないかと言う心配です。
「クローズアップ現代」でも取り上げていましたが、福島原発の事故の際、
拡散された放射性物質によって汚染された『指定廃棄物』は、いまだ処分地も決まらずに
保管されているのです。
12の都府県で、その量、14万トン。
まだまだ、事故後のケア-ができずにいる問題が、除染をはじめ数多く存在しているのです。
日常的な感覚で不安なことは「不安」だと言い続けなくてはなりません。
故意に風評被害を引き起こす言動は慎むべきですが、不安なことは「不安」だと表明し、
政府は、その不安に具体的に対処する責任があると思います。
放射線禍に晒された福島県人のひとりとしては、マイナーな「風評」は悲しく思います。
でも人は それぞれに感じ方、捉え方に「温度差」があるのです。
作家の池澤夏樹氏は、
その著書『春を恨んだりはしない』
―――震災をめぐって考えた事(2011.9.11発行)
のなかで、次の様に記していました。
《地震に震源地があって そこからの距離に比例して被害の大きさが決まるように、
人にも一人一人に事件の中心からの距離がある。》
人それぞれの捉え方、温度差に、目くじら立てて非難し合うのではなく、
使いこなせない「原子力発電」の再稼働にこそ、『否』と言い続けたいと思います。
〈ゴマメのばーば〉
今年はまだ食べておりません。
味そのものはもちろんですが、あの形が何ともいえず可愛らしくて。
「おいしい」
と言って食べるだけでいいものを、そこが貧乏性、
「一個いくらにつくのかしら」
と、毎年考えながら買うのです。
名前が似ているので、『美味しんぼ』を思い出しました。
次号からしばらく休載にするとか。
たしかに、福島県で暮らして行こうと思っている私などにとっては、「鼻血」云々は、
愉快とはいえない表現でした。
「多くの方々が不快な思いをされたことについて、編集長としての責任を痛感しております」
「一連の内容には多くのご批判とご抗議を頂戴しました」
との編集部見解だそうですが、やっぱり「休載」ということになりますか。
愛読者ではありませんでしたので残念とまでは言えませんが、これで不快感が治まると
溜飲を下げて おしまいと言うことにもなりません。
私が懸念するのは、今後、放射性物質に関してや、健康への不安に関して、
あまり語られなくなってしまうのではないかと言うことです。
確固たる化学的根拠に裏打ちされていないと、不安などを声に しにくくなって
しまうのではないかと言う心配です。
「クローズアップ現代」でも取り上げていましたが、福島原発の事故の際、
拡散された放射性物質によって汚染された『指定廃棄物』は、いまだ処分地も決まらずに
保管されているのです。
12の都府県で、その量、14万トン。
まだまだ、事故後のケア-ができずにいる問題が、除染をはじめ数多く存在しているのです。
日常的な感覚で不安なことは「不安」だと言い続けなくてはなりません。
故意に風評被害を引き起こす言動は慎むべきですが、不安なことは「不安」だと表明し、
政府は、その不安に具体的に対処する責任があると思います。
放射線禍に晒された福島県人のひとりとしては、マイナーな「風評」は悲しく思います。
でも人は それぞれに感じ方、捉え方に「温度差」があるのです。
作家の池澤夏樹氏は、
その著書『春を恨んだりはしない』
―――震災をめぐって考えた事(2011.9.11発行)
のなかで、次の様に記していました。
《地震に震源地があって そこからの距離に比例して被害の大きさが決まるように、
人にも一人一人に事件の中心からの距離がある。》
人それぞれの捉え方、温度差に、目くじら立てて非難し合うのではなく、
使いこなせない「原子力発電」の再稼働にこそ、『否』と言い続けたいと思います。
〈ゴマメのばーば〉