ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

さくらんぼ・『美味しんぼ』

2014-05-20 07:22:23 | 日記
さくらんぼが大好きです。
今年はまだ食べておりません。
味そのものはもちろんですが、あの形が何ともいえず可愛らしくて。
「おいしい」
と言って食べるだけでいいものを、そこが貧乏性、
「一個いくらにつくのかしら」
と、毎年考えながら買うのです。

名前が似ているので、『美味しんぼ』を思い出しました。
次号からしばらく休載にするとか。
たしかに、福島県で暮らして行こうと思っている私などにとっては、「鼻血」云々は、
愉快とはいえない表現でした。

「多くの方々が不快な思いをされたことについて、編集長としての責任を痛感しております」
「一連の内容には多くのご批判とご抗議を頂戴しました」
との編集部見解だそうですが、やっぱり「休載」ということになりますか。
愛読者ではありませんでしたので残念とまでは言えませんが、これで不快感が治まると
溜飲を下げて おしまいと言うことにもなりません。

私が懸念するのは、今後、放射性物質に関してや、健康への不安に関して、
あまり語られなくなってしまうのではないかと言うことです。
確固たる化学的根拠に裏打ちされていないと、不安などを声に しにくくなって
しまうのではないかと言う心配です。

「クローズアップ現代」でも取り上げていましたが、福島原発の事故の際、
拡散された放射性物質によって汚染された『指定廃棄物』は、いまだ処分地も決まらずに
保管されているのです。
12の都府県で、その量、14万トン。
まだまだ、事故後のケア-ができずにいる問題が、除染をはじめ数多く存在しているのです。

日常的な感覚で不安なことは「不安」だと言い続けなくてはなりません。
故意に風評被害を引き起こす言動は慎むべきですが、不安なことは「不安」だと表明し、
政府は、その不安に具体的に対処する責任があると思います。

放射線禍に晒された福島県人のひとりとしては、マイナーな「風評」は悲しく思います。
でも人は それぞれに感じ方、捉え方に「温度差」があるのです。

作家の池澤夏樹氏は、
その著書『春を恨んだりはしない』
―――震災をめぐって考えた事(2011.9.11発行)
のなかで、次の様に記していました。
     《地震に震源地があって そこからの距離に比例して被害の大きさが決まるように、
      人にも一人一人に事件の中心からの距離がある。》

人それぞれの捉え方、温度差に、目くじら立てて非難し合うのではなく、
使いこなせない「原子力発電」の再稼働にこそ、『否』と言い続けたいと思います。
                                   〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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