ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

2014-05-10 07:25:06 | 日記
NHK連続テレビ小説『花子とアン』を毎日見ています。
『ごちそうさま』も面白かったのですが、『花子とアン』も、楽しんでいます。

昨日9日の放映ですが、連子さまは 甲府の花子の実家を花子と一緒に訪ねました。
夜の囲炉裏端で、花子のお母(か)ぁは、火吹き竹で囲炉裏の火をおこしながら
『連子さぁ、いま、一人じゃぁ抱えきれねえもんを抱えこんでいるんじゃねぇだけ』
と連子に訊ねます。
連子は、自分の生い立ちなどを語り、『お母(か)ぁ』と、呼んでもいいかと甘えます。
すりよった連子を抱き寄せ、
『でぇじょうぶ、でぇじょうぶだよ』と言う花子の お母(か)ぁ。

涙が出ました。
私も幼い頃、心配ごとや、怖いこと、そして漠然とした「死」への不安などを抱え込んでいた時、
母は ただただ、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と抱きかかえ、背中をポンポンとやさしく叩いてくれて
いたものでした。

戦時中、空襲警報発令以前の敵機来襲で、防空壕へ避難出来なかった時なども、
部屋の中で私や兄を抱え込み
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言って、背中をトントンと叩いてくれていました。
ヅヅッヅドーンという爆弾の破裂音と地響き、パン・パン・パンという機銃掃射の音、
恐怖に身動き出来ないさなかにあっても、不思議に母の、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
は、私を落ちつかせてくれたのです。

あの時の恐怖感はよみがえって来ませんが、トントンと身体に響いて来た安らぎは、
70年を経た今でもしっかり身体の中に取り入れられているのです。

3年前、大地震と原発事故にかかわる放射線への不安と恐怖のなかにあっても、
身体のどこかに、あの母の「だいじょうぶ、だいじょうぶ」が、音もなく響いていたように思えます。
ありがたいことです。

連子さまは、兵隊に志願したいという花子の兄に、与謝野晶子の、
「君死にたまふことなかれ」の詩集を与えます。
     《あゝをとうとよ、君を泣く、
      君死にたまふことなかれ
      末に生まれし君なれば
      親のなさけはまさりしも、
      親は刃(やいば)をにぎらせて
      人を殺せとをしえしや、
      人をころして死ねよとて
      二十四までをそだてしや。》

いつの時代でも、母は、いのちを「生かして」と願っているのです。
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