ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「ふきのとうのてんぷらを食べながら、」

2014-05-09 07:31:27 | 日記
この季節の山菜が大好きです。
ふきのとうのてんぷらを食べながら、友人のことを思い出しました。
『季節のモノは健康にいいんだから』
と、いつも薦めてくれていました。

自然食、それも無農薬の野菜・穀類などを選んで食べていた友人でした。
親友でした。
もう、逝ってしまってから10年程になります。

『食べて見て』
と、時々 私に手渡してくれたクッキーらしきもの、ジュースらしきもの。
「これなーに」と、いながら口にしました。
不味さと一緒に思い出します。
クッキーは、コヌカの味がしましたし、ジュースらしきものは青臭く、
鼻をつまんで「ごくり」と飲むほかなかったのです。

栄養学的には優れモノだったのでしょうが、私は、好きになれませんでした。
食べると言うことは、健康を維持するという目的があるわけですが、
やっぱり、
お薬ではないので楽しく満足感が得られなくては、と私は思っています。

若い頃は、ヘビースモーカーの私でした。
健康には良くないと知りつつも止められなかったのです。
止めようとも思わなかったのです。
仕事を終えての一服、
目覚めの一服、
寝る前の一服、
よくもまあ、吸いました。
今は、ひょんなきっかけでタバコとは縁が切れてしまいました。
そんな私に友人は、親しいだけに厳しいクレームを付けたものです。

忠告が正しいことは よく判っていたのです。
でも、
「健康食品なら、もう結構よ」
と、私は拒絶し続けていました。

こんなにも早く逝ってしまうのなら、お世辞にでも、一度や二度くらいは、
「あぁ おいしいね」
「健康的 ヘルシーだね」
そう言って上げれば良かったと、悔む気持ちと共に時々思い出すのです。
友人は、
〈今頃じゃ間にあいません〉
と、あちら側で言っていることでしょう。

先月・4月27日の「福島民報」日曜論壇で、福島県立博物館館長の赤坂憲雄先生が、
里山の大切さや、自然エネルギーの重要さを述べられていましたが、その論評のなかで、
つぎの言葉が心に残りました。
     《自然エネルギーは、それ自体が正義というわけではない。あらゆる技術は、
      それをコントロールする倫理なしには、逸脱し暴走する》と。

そして気づいたのです。
何故、あれほど頑なに、私は友人の「健康食品論」へ拒絶反応を示したのかということに。
それは、友人が「健康食品」自体を〈正義〉と位置づけていたせいかもしれません。
私がそのように誤って受け止めたからかもしれないのですが。

きっと、友人は、
「ったく、理屈ばっかし言って」
と苦笑いしているに違いありません。
お世話になった良き友人でした。
                                 〈ゴマメのばーば〉
コメント
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