ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

あと味の悪い「安倍劇場」でした。

2014-05-16 07:42:26 | 日記
安倍首相の「集団的自衛権」に関する記者会見を観ました。
戦後日本の安全保障政策に大転換にかかわる発表です。

予想はしていましたが、不快でした。
「集団的自衛権を行使出来るようにする」
という結論ありきの記者会見ですから、説明の道筋はいろいろあるにせよ、愉快なはずはありません。

記者会見の後、「東京新聞」記者の質問に対する回答は、不快を通り越して、「悪寒」さえ覚えました。
記者の質問は、
1「歴代政権が踏襲してきた憲法解釈を、一政権の判断で変更するとしたら立憲主義の否定ではないか。」
2「総理は、日本が戦争をする国に断じてならないと強調したが、集団的自衛権を認めれば、将来的に自衛隊が他国の戦争に参加する可能性は否定できないのではないか。これが、総理の掲げる積極的平和主義か」
と、いう二つの質問でした。

総理は、『邦人輸送中の米輸送艦の防護』と書かれたパネルを指しながら回答しました。
首相が準備したパネルには、赤ちゃんを抱いた母親と子どもが乗っている舟が、
「敵」から攻撃をうけている絵が描かれています。
『こうした事態でも、私たちは、この船に乗っている子ども達、お母さんや、
多くの日本人を助けることも、守ることもできないという、これで本当にいいのでしょうか。
私は、それを問うているのです。』
『立憲主義にのっとって政治を行うと言うことは当然なことです。その上において、
こうしたこと(パネルに描かれている、母子たちを救出すること)ができないという現状から
目をそむけていて いいのだろうかということを、皆さんにも考えて頂きたい』
と、やや上ずった口調での熱弁でした。

『いかなる事態においても、国民の健康と暮らしを守る』
の文言を何べんも繰り返しましたが、この答弁、情感に訴えただけの「語り」であって、
論理ではありません。
母子像を出してくれば、見ている国民も共感するとの もくろみだったのでしょうか。

それに、「立憲主義の否定ではないか」との質問に対して、
「立憲主義にのっとって政治を行うと言うことは当然なことです。」との、
言葉の複唱だけでは回答になってはいないでしょう。

『皆さんや、お子さんや、お孫さんが、こうした立場(パネルの母子像)になるかもしれない。
そうしたことを考えていただきたい』
そう、語り続けた安倍首相は、母子を守る正義のヒーローになったつもりだったのでしょうか。

こうも続けました。
『そして、その権利(パネルに描かれた人々の幸せを願う生存の権利)を、
私たち政府は守って行く責任があるわけです。その責任を放棄せよと、
憲法が要請しているとは私には考えられません』
と、結んだのです。

情感に訴えようとする巧みな言い回しではありました。
でも、このパネルに描かれた「母子」だけではなく、生存権はすべての個々の人間が
持っている権利です。
国際間の紛争を、武力によって解決した時に、死んでいく兵士の人権は、どうなるのでしょう。
母親の嘆きと悲しみは、どこへいくのでしょう。
太平洋戦争では310万人もの「いのち」が奪われました。

「立憲主義」に立つわが国の憲法です。
そのことを否定しないならば、時の政権の「思い」や、「解釈」で改憲できないことは、
自明のはずです。

出来の悪い母子(ははこ)ものの映画を見せられたような、あと味の悪い「安倍劇場」でした。

コメント
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