ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〔苦しまなかったら〕

2014-05-26 07:32:57 | 日記
昨日、私たちの教会は永眠者記念の礼拝でした。
永眠なされた方々のご遺族の方と共に記念の礼拝をし、故人を偲び、
また、今生かされていることへの感謝と自覚も促される日でもあります。

牧師説教は【主の慰め】という題で、
『悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。』
という、新約聖書マタイによる福音書5章4節を解き明かしてくださいました。

説教の中で引用された水野源三さんの詩〔苦しまなかったら〕、他二篇を紹介させていただきます。
     〔苦しまなかったら〕
      もしも私が苦しまなかったら、
      神さまの愛を知らなかった。
      多くの人が苦しまなかったら、
      神さまの愛は伝えられなかった。
      もしも主イエスが苦しまなかったら、
      神さまの愛は現れなかった。

     〔有難う〕
      物が言えない私は、
      有難うのかわりにほほえむ
      朝から何回もほほえむ
      苦しいときも 悲しいときも
      心から ほほえむ

     〔生きる〕
      神様の
      大きな御手の中で

      かたつむりは
      かたつむりらしく歩み

      蛍草は
      蛍草らしく咲き

      雨蛙は
      雨蛙らしく鳴き

      神様の
      大きな御手の中で

      私は
      私らしく生きる

水野源三さん(1937年~1984年)は、9歳の時罹った赤痢の高熱のため
重度の脳性麻痺を起し、話すことも、書くこともできなくなりました。
お母さんが、51音を書いた文字板を指で示し、唯一残された「瞬き」を通して
意思疎通を図ったそうです。
12歳の頃から聖書を読み始め、毎日訪れて下さった牧師の愛によりクリスチャンとなった方で
「瞬きの詩人」と呼ばれています。

水野源三さんのような「心からのほほえみ」を、本当のほほえみを、私は したことがありません。
水野さんは、
『悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。』
その慰められた一人で、また、他人を慰められる一人になられた方だったのでしょう。
きっと。

悲しみなど、あって欲しくない私たちですが、いつの日か、
涙を、ことごとく拭い去って頂けることを信じることは明日を生きる力です。
慰めです。

讃美歌385番を歌いました。
♪花彩る春を この友は生きた♪
と、歌いました、
共に奏して下さったフルートの音色(ねいろ)が礼拝堂に立ち昇って。
さすが、プロ。

永眠された先達も共に歌ったようです。
胸がジーンとしましたから。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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新緑の道を歩いていると

2014-05-25 07:32:32 | 日記
【………新緑の道を黙々と歩いていると、ひととの関係の中でつくられた「わたし」が消えてゆき、
自然に還(かえ)ってゆく者としての「わたし」がかすかに意識されるだけになってきた。】
                     (南木佳士 2010・5・21福島民報「彩雲」)

桜の樹の下で手帳を開いたら、上記の抜き書きが目に留まりました。
あぁ、この抜き書きをした季節もこの季節だったのだと、改めて私の好きな作家の
一人である南木佳士さんのことを思い出したのです。

私も、新緑のなかを歩いていると、〈ひととの関係のなかでつくられた わたし〉が、
薄れていくのを覚えます。
それは、安らかな快感と言えるかもしれません。
人は、ひとと、ひととの間で生きて行くものではありますが、疲れてくると 
やっぱり独りになりたくなるのでしょう。

日々、若葉を広げて行く5月の緑の中にいると、怒りも、しばしなりをひそめ、
悔しさなども、紗がかかったように薄らいでいくのが分かります。
〈どうってことないよ、そんなこと、どうってこと〉
という声が、どこからか聞こえてくるのです。

そのままブラブラ歩いていきますと、今まで聞こえなかった様々な息吹が充ち満ちていて、
いのちの気配が身体じゅうに響いて来るのです。
と、心が歌いだします。
懐かしい唱歌のメロディとなって、ハミングとなるのです。

初夏へ。
やっぱり 好きな季節です。
青葉になった桜の木の下をひとり歩いていると、ちょっと自分が好きになったりもします。

私のミニ旅は、出歩いた距離とは無関係です。
数キロしか離れていない隣町のこともあり、新幹線を乗り継いで、
一日で東北をぐるりと、一巡りすることなどもあるのです。

つまり、今置かれている日常というものから、ちょっぴり 離れて心を散歩させる、そんな旅。
だから、一人旅と言うことになるのでしょう。
                                    
                                 〈ゴマメのばーば〉
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ゲームではないけれど。

2014-05-24 07:26:45 | 日記
『運転差し止め』判決を喜んでおりますが、政府の反応などを見ますと、これから先の道は
決して安易なものではないことが伺えます。

菅官房長官は21日の記者会見で、
原子力規制委員会の安全審査を経た原発を再稼働させる政府方針は
「まったく変わらない」
と述べています。

また、田中俊一原子力規制委員会委員長は、
「従来通り、われわれの考え方で(新規制基準への)適合性審査をする」
と、記者会見で語っています。
関電は、22日、名古屋高裁金沢支部に控訴しました。
それぞれの立場での発言、対応ではあるのでしょう。

今後、様々な形で原発再稼働に向けての「アピール」や、反対運動の抑え込みをはかって
来ることは必至です。

30年ほど前に書いた詩です。
     
     『ゲーム』
      ゲームの始まりだ
      建てつけのせいではないのに
      法廷の扉は
      ギィッと音をたてて開閉する
      裁判長が お出ましになると
      「起立」と号令がかかる
      被告人
      弁護人
      検察官
      傍聴人
      「一同 礼」
      たくさんの証拠品が持ち込まれ
      幾人もの証人が喚問され
      長い時間
      あちらからも こちらからも眺めまわす
      法廷がゲーム場だと
      誰も信じたくないので
      裁判長は神父の衣をまとい
      弁護人や検察官は法の書をその手に取る
      裁きの座に
      世の富がかけられ
      人の いのちがかけられ
      憎しみや思想などが
      背後で糸を綾なすから
      ゲームのことなど
      誰もが つい
      忘れてしまっている

沢山の裁判闘争を見たり、喜んだり、怒ったり、
ゲームを見るように覚めた目で眺めたりして来ました。
もう、「喜寿」を越したのだから、残された日々を ゆったりと、
できれば自然と親しく挨拶しあって生きようなどと思ってはいるのですが、なかなか。

そう、これが なかなか出来ないものなのです。
人生はゲームではないけれど、
『人生は舞台、人はみな役者』
などという台詞(せりふ)が、ふと頭を過り(よぎり)ます。
                                 〈ゴマメのばーば〉

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気にかかること。《甲状腺ガンと自主規制》

2014-05-23 07:31:32 | 日記
○〔甲状腺ガン〕
福島県で震災当時18歳以下の37万人を対象にした調査の結果、甲状腺ガンと
診断された子どもの数が50人だと発表されました。
原発事故との関連は薄いということですが心配ではあります。

『疑わしきは罰せず』というのは、刑事裁判における原則ですが、こと放射線被害に関しては、
知見が少ないだけに、安易に「安全宣言」をしてしまわずに、十分な追跡調査を望みたいと思います。

○〔自主規制〕
『美味しんぼ』に関して。
《多くの方々が不快な思いをされたことについて、編集長としての責任を痛感しております。
一連の内容には多くのご批判とご抗議を頂戴(ちょうだい)しました》
との編集部の見解を発表し、
「次号からしばらく休載」
ということで、一応のケリがついた………風な状態にはなりました。

でも、気にかかります。
3年前の、あの事故発生後の数カ月間のうちに、「子どもが鼻血を出した」と
訴えていた母親の投書などをみますと、このところ微妙に表現が変わっているようなのです。
鼻血を出したという状況説明の中に、
「放射線によるとばかりは言えないのかもしれませんが」
という文言がはいったりしていることに対してです。

『福島県民が受けた程度の被ばく線量であれば鼻血が出るようなことはない』
と言われようが言われまいが、現に、「出た」のであれば、「出た」とはっきり言うべきです。
自主規制してしまう必要はないのです。
また、周りの人たちも「鼻血」を出したことを否定したり、言いにくい状況を
つくってはいけないのだと思っています。
「子どもが鼻血を出した」と訴えているお母さんが、福島県のイメージを
悪くさせようとして発言しているわけではないのです。

とにかく、「放射線禍」については、まだまだ分からないことの方が多いということを
私たちは銘記しなければいけないと思います。

事故当時、ある若い女性へ
「高齢者の私は、今暮らしているこの場所を出て行くという様々なリスクを考えると、
放射能への不安はあっても、この地で何とかリスクを避けながら生きて行く」
との意向を述べました。
その際、
「そうした高齢者のあいまいな態度が、県民・子ども達を放射線リスクから守るための
ネックになっているのよ」
とのお叱りを受けたことを思い出します。
あの女性も、必死だったのでしょう。

今、お会いできたら、
『脱原発・原発NO』で手をつなぎましょう
と、言うつもりです。
                                    〈ゴマメのばーば〉
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『運転差し止め』判決。いいニュースでした。

2014-05-22 08:08:22 | 日記
福井地裁は、安全性が保証されないまま大飯原発3、4号機を再稼働させたとして、
関電に運転差し止めを求めていた訴訟に対し、運転差し止めの判決を関電側に命じました。

【主文】から【国富の損失】まで、『福井新聞』ニュース・判決要旨からの抜粋です。
いずれの内容も、
「よくぞ言って下さいました」
と、拍手したいくらいの判決でした。

《☆【求められる安全性】
〔………原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。………〕

☆【冷却機能の維持】
〔………地震大国日本で、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しだ。………〕

☆【使用済み核燃料】
〔………プールから放射性物質が漏れた時、敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。………人格権を放射性物質の危険から守るとの観点からみると、安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立つ脆弱なものと認めざるを得ない。………〕

☆【国富の損失】
〔………原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ。………〕》

原発事故によって多大な被害を被り、今なお放射線禍にさらされている福島県民の一人として、
心から この判決を喜びたいと思います。
まだまだ、使いこなすことができない『原子力発電』です。
楽観的な見通しの下に成り立つっている脆弱な安全技術と設備は、使用してはいけないのです。
〔豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり………〕
その通りだと思います。
原子力発電により生じる「高レベル放射性物質」を何万年に渡って管理できるはずはありません。

原発再稼働に反対する多くの方々と、手をつないで行きたいと思います。
いいニュースでした。
                                   〈ゴマメのばーば〉

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