散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

選択の余地がない「硫黄島」的な戦いでの奮闘~W-cup・コロンビア戦

2014年06月25日 | スポーツ
マスメデイアの「今日は絶対勝たなければ」との判りきったことの大合唱の中で、日本は奮闘した。例えて云うなら、太平洋戦争末期の「硫黄島」の戦いを想起させる。日本軍に増援・救援の戦略はなく、守備兵力2万人のうち96%が戦死・行方不明となった。

しかし、栗林中将の作戦の従い、米軍に最後まで抵抗し、日本軍に同じ程度の損害を与えた激戦であった。要するに、全員、最後は玉砕になると覚悟した状況で、無類の力を発揮したことになる。

日本チームもまた、勝つための積極的な攻撃を、勇気を出して行う覚悟で臨んだに違いない。一方で、作戦が失敗知れば、敵のカウンター攻撃によって、玉砕を強いられることも、当然、念頭にあったはずだ。結果は1-4であり、大方の無言の予想通り、玉砕に近い内容であった。

大会前の懸念点は今日の試合でも出ていた。
1)守備陣で中心選手がいないこと
2)欧州イレギュラー組が試合感覚を取り戻せるか
3)体を張ってのギリギリのつばぜり合いができるか
 『シャビの状況判断は早碁での手が見える状態20140610』

敵の1点目はゴール前での今野のタックルがPKを取られた。リプレーでは、相手に一瞬早く、ボールと体の間に足を入れられ、タックルがその足を引っ掛け、相手がそれに乗じて、その足を外さずに倒れた様に見える。ギリギリのつばぜり合いでの駆け引きに負けた形になった。

2-4点目はカウンターに守備陣が全く対応できず、ズルズルと下がり、スピードとコースを自由に選択するかの様なドリブルを許し、最後にボールを回され、比較的楽にシュートされた。これも守備陣のリーダー不在が、特にツーバックの連携に支障をきたした様に見えた。

香川のシュート力、本田のボールの奪われ方は、欧州での試合不足を顕しているし、大久保の活動的なプレー、岡崎のフリーラニングあるいは内田の上がり等は試合で活躍する姿を想い起こさせる。

下の写真はコロンビア戦での岡崎の1点目だ。相手の前に出て体ごと投げ出すプレーは岡崎ならではだ。勝つしかない中で負けている状況を打開する意表を突いた思い切りの良い動きであった。

日経新聞(20146/25)

しかし、日本チーム全体として、意表を突くプレーは殆ど見られなかった。
結局、今回の大会を通して筆者の目に映った日本チームは、今回を含めて、それぞれの試合の表題に表せる。
 『日本チームが野生動物だったら餓死140615』
 『マイペース・希望的観測・金縛り140621』
 『選択の余地がない「硫黄島」的な戦いでの奮闘140625』

何故、こうなるのか?今後考えてみたい。