散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

カトリック教会、信仰の自由を承認1965年~「平和の代償」永井陽之助

2015年02月11日 | 永井陽之助
カトリック教会が信仰の自由を認めたのは、1965年11月19日のバチカン公会議での宣言の承認によってである。これは非カトリック教徒が良心に基づいてそれぞれの信仰を持つ権利を認めたもので、その歴史的意義はカトリック教会だけのものではなく、少なくともキリスト教全体の統一にも関わるものだ。

筆者がこれを知ったのは、永井陽之助「平和の代償」(中公クラシックス)の中の『日本外交における拘束と選択』(初出「中央公論」1966/3月号)である。この記述は論文の最後に、歴史認識に基づく氏の平和への方法論として書かれたものだ。

続いて氏は次の様に云う。
「ベトナム戦争や日韓国会の影に隠れて、このニュースは日本ではあまり注目を引かなかったようだが、私には、今更の様に、キリスト教の持つ不寛容性、妥協しない西欧的イデオロギーの強靱さを却って思い知らされた。
現代という一種の“宗教戦争”の時代に生きる、我々にそれは無限の歴史的教訓を与えているようである。」

これは1965年当時の認識だ。それも日本の中で注目を引かなかったなかでのことだ。50年後の2015年の今、私たちは無限の歴史的教訓を与えているものとして、受け取らなければならないとの認識にようやく達する処なのだ。

それにしても、一つのニュースからキリスト教の不寛容性を嗅ぎつけるには、それ相応の問題意識とアンテナの感度の良さを必要とする。その感受性は、次に述べる認識にも到達するのだ。
「しかし、バチカン公会議が、今更の様に、我々に想起させたことは、新旧両派の宗教上の争点は、今日、なお、死火山では無い、ということであった。むしろ、いつ活動するかわからぬ危険性を常に持っている。」

イスラム原理主義が台頭し、イスラム国が忽然として出現したからだけではなく、ロシアが絡んだウクライナ紛争もカトリック対正教の宗教上の対立も含んだ文明の衝突に他ならないと思えるからだ。

筆者は大学2年生のときに「政治学」を受講し、特に教科書ではなかったが、関心に任せて「平和の代償」を読んだ、1968年の夏休み頃だと思う。何で今頃になって、「信仰の自由」なのか。随分と前に新旧宗教は平和共存に向かって妥協したはずなのに…、他の宗教に対する信仰の自由を公に認めたのは、つい最近のことなのか、と思ったのを覚えている。

改めて、50年前へ時計の針を戻すのではなく、タイムスリップしてみると、永井の認識をどのように受け止めるのだろうか。

時まさに、独ワイツゼッカー元大統領の国葬が営まれ、日本の報道では「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目になる」ということばで、ナチス・ドイツの罪を直視するよう呼びかけ、周辺国との和解に貢献した」と力説していた。これもまた、強靱な西欧イデオロギーを想い起こす言葉になるだろう。

      

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