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散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

世代表現の選択、「ベビーブーム」対「団塊」、~自分史余滴(4)

2022年06月11日 | 個人史

自分史『或るベビーブーム世代の生活世界』の本文「はじめに」では、以下の三項目について記述した。
 1)「「ベビーブーム世代」と「団塊世代」」、
 2)「個人―生活世界―社会」、
 3)「時の旅人~筆者が「自分」を探検する」

前回は2)の「生活世界」について説明した(22年6月4日付)。
そこで今回は、世代表現として「ベビーブーム(BB)世代」(主として使われる「団塊世代」ではない)を選んだ理由を説明する。

筆者は1948年に生まれ、当初は「BB世代」(1947-49年誕生)と呼ばれ、社会人以降は堺屋太一氏が命名した「団塊の世代」(1976年、同名の書籍(講談社))と呼ばれる世代に括られる。近年、自分自身は世間に倣って後者を使っていた。しかし、本稿を書く過程で、どちらの言葉を使うのか?
先ずは、神奈川県立図書館での蔵書のタイトルを調べる。「BB世代」を含むものは3冊、「団塊世代」を含むものは何と39冊。圧倒的に後者が多い。世の中は広く「団塊」を使っている。しかし、待てよ!単なる「塊」?この言葉は筆者の感覚に合わない!

 「誕生・始まり」を連想させるBB現象が、生活再建へ向かう終戦後に起きたことに筆者は感慨を持つ。また、混乱期の中で子どもを生み育てた親世代は、その成長を精神的支えにしたことも想像に難くない。

更にBB現象は、戦後の日本だけでなく、北米、欧州等でも共通に現われた世界的な事象であった。その背景には世界大戦による従軍者の動員と、終戦後の帰国が指摘される。一方、大戦中は従軍者だけではなく、住民の生活空間までもが戦争に巻き込まれ、多くの死傷者が出た。日本では玉音放送(1945年8月)によって住民に終戦(敗戦)を知らせ…半年のうちに世相は変わり、その後にBB現象が到来する。

そう考えると、「ベビーブーム」は人間的な、余りにも人間的であり、「団塊」などとの言葉では表現できない事象である。また、それが優秀な経済官僚の方の発想であることが、当時の日本が置かれた社会状況を示し、更に、マスメディアとそれを包む当時の国民的雰囲気も感じさせる。

但し、ベビーブームとの言葉の発祥地は米国だ。それは第一次世界大戦後(1918-29年)に起り、第一次とされている。更に第二次大戦後も起こる(1946-64年)、この時の世代はBaby Boomerと呼ばれる。更に日本の第二次BB現象に相当する世代はEcho Baby Boomer と呼ばれる。

(参照:Wikipedia、「ベビーブーム」)

 


哲学的表現としての「生活世界」~自分史余滴(3)

2022年06月03日 | 個人史

 自分史の表紙には、
 表題「或るベビーブーム世代の生活世界」、 
 副題「個人・住民・citizen」、
 更に加えて「市井人の自分史」、
 及び「社会史の中の個人史」も表記してある。
それぞれが筆者の「自分史」を構成するキーワードになる。

表題で『生活』を避け、哲学者フッサールがその現象学で展開した言葉「生活世界」を選んだ理由は、その言葉が示すイメージによる。即ち、「生活=日常生活」から生まれる一般的な生活習慣の連想が、漫画「サザエさん」的な生活循環イメージに繋がることを避けたかったからだ。即ち、その表題から社会的・政治的な関心・活動のイメージを発想する余地は乏しいように感じるからだ。

一方、「生活世界」は哲学的発想から「人間とは?」に迫った言葉として幅広くイメージを想起させる用語と考えた。従って、「私の履歴書」ではない「市井人の自分史」を「社会史の中の個人史」として成立させる媒介役として、この用語が適切と判断した。

『現代人の思想15 未開と文明』山口昌男編著(平凡社:1969年)の冒頭の解説「失われた世界の復権」において、氏はフッサールの近代哲学批判『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』フッサール(中央公論:1974年)、即ち幾何学的方法が日常的生活世界に「理念の衣」を被せたとの指摘を引用する。
その後、山口は哲学叢書『文化と両義性』(岩波書店:1975年)において「日常生活を生きる人間の主観的意識を通して捉えられた世界が、究極的に理解されるべきこと」を更に引用して、生活世界の「多次元性」を論じる。そこでは(社会)学の対象として「生活世界」を構成したアルフレッド・シュッツが紹介される。この頃に筆者は木田元『現代哲学』(日本放送出版協会:1969)から現象学に関心を持つことになるのだが。

上記の三点は「生活世界」に係る哲学的参考文献です。一方、社会科学的参考文献は以下の三点になります。

 1)『生活世界の構造』シュッツ&ルックマン(ちくま学芸文庫:2015年)
 2)『日常世界の構成』ルックマン(新曜社:1977年)
 3)『社会的世界の探究』山岸健(慶応通信:1977年)

結論的には哲学的に提起された「生活世界」を受けて、1)においてその構造が整理され、更に具体的に2)、3)で展開されている。

 


筆者と自分の間の対話~自分史余滴(2)

2022年04月30日 | 個人史

先の記事(3月14日付)において、自分史の出版による読者(稀少ではあるが…)の誕生、その読者と筆者との対話が潜在的にでも存在すると考えた。そうであれば、「著者(筆者)」と「自分」(読者としての)との間にも対話が成立するはずだ。いや、それは執筆を決めた時から始まっていたのだ。

『或るベビーブーム世代の生活世界~個人・住民・Citizen~』の「はじめに」は、
 1.「ベビーブーム世代」と「団塊世代」
 2.「個人―生活世界―社会」
 3.時の旅人~筆者が「自分」を探検する
以上の三項目から構成されており、主に『3』がそれに当たる。

実際、原稿はA4版で書いたが、最初に書き上げたものは、「市井人の自分史」としては、類似の出版物と比べて分量が極めて多かった。そこで、自らの軌跡を描くなかでの関連を考慮して、削減せざるを得ないものを選び出した。但し、それは筆者の判断であって、自分としては不満ながらも納得して出版を急ぐようにした。

出版後の献本、感想等の受理・返信等も一段落した現在、改めて削除せざるを得なかった部分を読み直し、筆者に加えて著者の視点からも文章として残したいとの気持ちが盛り上がり、先の「余滴」との表現を借りて本ブログに投稿することにした。

なお、「余滴」との表現は以下の永井陽之助の論文から借用させて頂いた。

「現代史の神話―「冷戦史研究余滴(1)」『歴史と人物』1973年5月号(中央公論社)
「原爆投下の決定―「冷戦史研究余滴(2)」『歴史と人物』1973年8月号(中央公論社)

 


筆者と読者の間に~自分史余滴(1)

2022年03月14日 | 個人史

自分史の完成を昨年の今頃、(『市井人の自分史として』2021年3月11日付)報告した。しかし、発行に及んだのは年末(12月10)、家族・親族・恩人・友人・知人へ配布を始めたのは今年になってからだ(1月10日~)。現在は読んで頂いた方たちからの感想等をまとめる段階に入っている。

家族といえども、本人の半生に亘って知るわけではない。友人は学校、職場が中心になり、本全体での一部分だけが共通の話題になることが多い。逆に、本人は気が付かなかったことを教わる機会にもなる。そこで読者のひとりにもなり、改めて考えてみることになる。
表題の様に「読者と著者の間」に立ち、著作の批評が頭に浮かべる。即ち、既に著者という特殊な読者が誕生するのだ。

そこで、その立場から、改めて調べ、考えたことを書いていこうと思う。

感想等のなかに、自分では怖くてできないスポーツでケガをした方がおられた。そこで何気なく思い浮かんだ『過剰の生』(バタイユの有名な言葉)との感想を送り返す。そのエネルギーに自分にないものを感じ、共感の表現としたからだ。
ところが、その出典がわからない。バタイユの著作あるいはそれに対する評論等は読んだ記憶がない…思い出したのは、山口昌男の本のどこかで読んだ?

本棚の本を探すハメに陥るが…幸いにも見つけ出す。

「道化はその限界を知らぬ放恣な性格の故に、定住の世界に安住することを許されない。あらゆる慾において彼は限度というものを知らない。それは多分、ジョルジュ・バタイユ的表現を用いれば道化が「過剰の生」の表現である故なのであろう」(「道化と詩的言語」、『道化的世界』山口昌男著,筑摩書房(1975)所収,P22)。
なお、本書は様々な論稿を集めたものであり、「道化と詩的言語」の初出は『ユリイカ 1971年6月号』と記載されている。

自分史『或るベビーブーム世代の生活世界』では、第九章「社会と文化を知る」で70年代から80年代を中心とした若き日の読書、観劇等の遍歴を記載する。
山口昌男は永井陽之助、山崎正和、松本亮と共に熱中の対象であった。上記の本は引用していないが、引用した『未開と文明』『人類学的思考』『本の神話学』と共に道化シリーズの一冊として愛読書であることは間違いない。

しかし、「読者と著者の間」の人間にとって…表題の「生活世界」のなかで、バタイユ的、道化的、<過剰の生>があるのだろうか?こんな思いが湧いてきた。読者の方はどう考えるだろうか?<間>人間には未だ十分な説明ができていない!


自分史を上梓~漸く、やっと発行

2022年01月03日 | 個人史

この度、自分史を上梓しました(2021年12月10日付)。

 既に『自分史完成』(1)~(5)として、以下の様に報告していた。
 「市井人」の自分史として(1)     2021/03/11
 「ベビーブーム(BB)世代」と「団塊世代」(2)03/12
 市井人としての意義(3)          03/30
 「筆者」と「自分」の関係(4)         04/02
 本書の構成~四部、二十三章(5)     04/24

しかし、本人だけでなく、他人の眼も必要と考え、何人かの方に読んで頂いた。指摘された内容の中で納得した事項を中心に、本文の手直しを行った。更に、この段階での修正には、他の箇所にも影響を及ぼす箇所もでてくるので、全文を慎重に見直した。但し、上記の投稿の表題に修正の必要はない。

ここで追加する事項は、重複も含めて下記の説明だ。

 表題:或るベビーブーム世代の生活世界(副題:個人・住民・Citizen)
  「A5版、全223頁 (写真、図面等ナシ)」
   …200頁以下に抑えようとしたが…削除は難しい…書くときよりも!

 表題は書き始める際の“立ち位置”を、
 副題は本文を書き終える際の“後半生の指針”をそれぞれ示す。

 本文では生誕からの半生を起承転結で表現、以下の四部構成としている。
 「成長期」、「発展期」、「転換期」、「統合期」。
 また、社会状況の描写、自らの活動に係わる社会事象等については、多くの文献を参照した(引用文献参照…約150項目)。

 なお、製本・印刷を業者へ依頼、校正は筆者のみ…誤字・脱字等の校正漏れの可能性はあるように思える…。

 

 


本書の構成~四部、二十三章~自分史完成(5)

2021年04月24日 | 個人史

第一部・成長期から発展期、転換期、統合期の四部、全二十三章の構成。

記憶を中心に、手元の記録・写真・雑多な資料・スクラップ等並びに関連文献を参照して構成されたイメージを基に記述する。なお、最後に参考文献と年表を添付する。

第一部・成長期:父母の軌跡の中で「個」が芽生え、社会と対峙から内へ

母の「空襲体験の話」と自分の「余波体験」から物語は始まり、最後に父の死、俳句に心象風景を託す母の生き様を描く。
その間、自分の黄金期・個独期・現実注視期を辿る。個の在り方、将来像に関わる選択及び生涯の趣味としての読書、スポーツ(野球・サッカー)、囲碁との係わりを中心に、「生活世界」の広がり、変動する「社会」も描写する。

第二部・発展期:「文理両道」の志を生きる

東工大へ入学(67年)。材料科学に関心を持ち、卒研では指導教官の理論的仮説に沿った実験結果を得る。東芝入社・研究所配属(71年)。二つの国家プロジェクトに従事、また、その間にブレークスルー技術も開発。発表論文は教科書的専門書等にも引用される。

永井陽之助教授のゼミ形式授業を受講、「自己認識の学」に注目、卒業後も「贋学生」として聴講。また、山崎正和、山口昌男等の著作及び映画・演劇・芸能等、社会的関心と趣味的世界をパッチワーク的に結びつける。その中で「地方の時代」に注目する。

大学夜学生の彼女と卒業後に結婚(84年)、子どもの誕生と共に地域活動へ目が向く。

第三部・転換期:業務と共に地域住民としての「岐路」に立つ

企画部へ配置転換(88年)、「新拠点建設計画」を担当、竣工後、管理運営に追われる。

地域活動の準備に放送大学「発達と教育」を受講(90-96年)。少年サッカークラブのコーチに就任(97年)。退職・再就職(02年)では単身赴任を断り、地域活動の両立を図る。

第四部・統合期:地域住民にして川崎市民、更に「Citizen」へ

市民として公平性の視点から少年サッカー施設の充実を市へ提起(02年)、行政計画に載せる(05年)。更に住民投票条例を巡っての市民活動から「Citizen」との認識へ(08年)。

市民有志で議会質疑の研究を始め、識者から「議会批評」との評価を得る(07年)。更に市民に開かれた議会へ、活動の幅を広げる。その改革活動が選挙前に新聞に注目され(11年)、気運を盛り上げるが…急転換(同年3月)!

活動記録をまとめ『市議会白書』として出版(10,11年)。また、故永井陽之助に関する出版の企画に協力、インタビューを受け、手元の資料を提供する(13年)。
最後に今後を展望する。

 


「筆者」と「自分」の関係~自分史完成(4)

2021年04月02日 | 個人史

 執筆にあたり、筆者の考えと当時の「自分」の考えを区別することを思い立つ。

 そこで、筆者は「自分」を探検する「時の旅人」となる。旅人が「自分」の活動と心的風景を描写する方法だ。その旅において、幼少の頃からの様々な、契機、経験、選択があって自己が形成されていくことを改めて知る。それぞれ新たな「自己発見」も含まれる。

 しかし、それ以上に、その「繋がり」あるいは「変化」の中に、自らの人生を丸ごと再発見できたと感じとる。

 但し、このアプローチは<記憶>が純粋の記憶なのか?との問いを伴う。

 筆者が自分を対象化した時、それは観察者から見た自分にデフォルメされたのではないか?従って記憶は純粋な当時の自分と異なるものを含んだものではないか?
 これはプルーストが『スワン家の方へ』で表現した有名な挿話、「紅茶に浸したマドレーヌ」から現れる過去の問題かもしれない。

 

 


市井人としての意義~自分史(3)

2021年03月30日 | 個人史

 「市井人」と称したのは日経『私の履歴書』に対峙させる意味だ。それは世に知られた立派な業績を含む個人の「経歴」の沿った話を中心に組立てられている。当然、「社会的価値」の大きな活動の記録であり、注目される内容を必ず含むものだ。

 一方、市井人の自分史では、日常生活、趣味、グループ活動、社会貢献活動等、様々なことが取り上げられる。当然、拙稿も同様である。しかし、それだけでなく、生活の背景にある当時の社会史(時代史)も文献等を参考にして描く。その雰囲気の中での事象、心理も表現を試みた。それは当時の社会を描く資料としても有用と考える。更に、多くの自分史を積分していけば、これまでにない社会の側面を描くことができるカモ!

 タイトルは『或るベビーブーマーの生活世界~個人・住民・市民』にした。
 生活世界は即ち日常生活と言っても良い。しかし、ダイナミックな社会変動の中での生活を描くにはどこか物足りない気がする。また、の主観的意識から出発する個人が、他者と分ち合う相互主観性の場を表現する言葉としても「生活世界」が相応しいと考えた。フッサールの現象学からシュッツの社会学へと流れる発想だ。

 家族の世界、地域の世界での生活から、社会も「自分」の生活に直接影響を与える存在だと感覚的に理解したのは、中学生になって内申書の存在を知ったときだった。それは社会もまた、自分の生活世界の一部として認識したことを意味すると筆者は考える。


 「ベビーブーム(BB)世代」と「団塊世代」~自分史完成(2)

2021年03月12日 | 個人史

 成長期にはBB世代(~)、70年代後半以降は団塊世代(堺屋太一)と呼ばれる世代に筆者は属する。近年は世間に倣って後者を使っていた。しかし、本稿を書く過程で、どちらを使うのか?別に「団塊」は否定しない、しかし、筆者はためらわず「BB」を選ぶ。
 「誕生・始まり」を連想させる「BB現象」が、生活再建へ向かう終戦直後に起きたことに筆者は改めて感慨を持つ。また、混乱期の中で子どもを生み育てた親世代が、その成長を精神的支えにしたことも想像できる。また、「ひとつの世代は、ひとつの解釈と、ひとつの実験を試みることを許されているに過ぎない。これが歴史の挑戦であり、その悲劇なのである」(ヘンリー・キッシンジャー)との言葉もある。

 


「市井人」の自分史として~自分史完成(1)

2021年03月11日 | 個人史

 修正を加えていた自分史を漸く書き上げた。これまで何度か完成させ、都度、見直しが思い浮かび修正を加えてきた。今でもここをもっと調べて書き直そうとか思い浮かぶ箇所もある。しかし、頃合も大切だ。踏ん切りをつける気持ちになる。

 タイトル=『或るベビーブーマーの生活世界~個人・住民・市民』

 これには迷いがあった。「ベビーブーマー」?あるいは「ベビーブーム世代」?
 世代を英語にすると、generation、これでは個人がボケる。また、世代を論じるわけでもない。『或るベビーブーム世代…』では同名の世代が幾つもあるようだ。
 そこで欧米では通用している「ベビーブーマー」を使うことにした。

 「生活世界」はフッサール及びシュッツの言葉を借りてきた。日常生活でも良いが、社会(他者)への広がりを表現するには適切な用語と考えた。
 副題に添えた「個人・住民・市民」は振り返って自らの社会的姿勢を格好よく表したものだ。但し、その三様の在り方を「国民」が覆いかぶさっていることも確かだ。

 現在、自分で編集作業を行っている。「A5版」、220頁程度になる予定。
 起承転結の四部(成長期、発展期、転換期、統合期)、二十三章の構成、統合期は市民活動について書いている。

 

 面白そうな部分?執筆中及びその前後で考えた事などを紹介していきますので、閲覧方、宜しくお願いします。
 また、200部ほど印刷する予定です。ご希望の方は郵送させて頂きます。