Gikuri

ギクリのブログ。たまに自意識過剰。

人のたてたる石は、生得の山水にはまさるべからず

2019-07-09 | 読書
先日図書館に行って「作庭記」の本をチラ読みしてきました。
「作庭記」は平安時代に記されたという日本最古の庭園書です。
その中で一番印象に残ったのはこの一節です。
或人のいはく、人のたてたる石は、生得の山水にはまさるべからず。
但おほくの国々をみ侍しに、所ひとつにあはれおもしろきものかなと、
おぼゆる事あれど、やがてそのほとりに、さうたいもなき事そのかずあり。
人のたつるには、かのおもしろき所々ばかりを、ここかしこにまなびたてて、
かたはらにそのこととなき石、とりおく事はなきなり。
「人のたてたる石は、生得の山水にはまさるべからず」、
人が石を立てて並べて庭を作っても、元々の自然には勝てないということですね。
日本が古来より自然を人為より上位に置き尊んだことが分かります。

全国を旅行してきて、「人の作った庭は自然には勝てない」と
いうのは本当に実感します。単に山や小川や池沼を見るというので
あれば、作り物よりも本物の自然の山や小川や池沼の方が美しいです。
作庭者が本物の自然とは別の美的価値を(意識的にであれ無意識的にで
あれ)付けているからこそ、私はその庭園を鑑賞しに行くのです。

「作庭記」では全国の風景の「おもしろき所々ばかり」を学んで
石を立てる、つまりいいとこ取りをして庭を作れということを
言っているようです。「縮景」の手法の話でしょうか。
全国の風景というのは必ずしも「石の風景」とは限らないと
思いますが、ここでは石を立てるとだけ言っています。
つまり、趣のある風景の一部分をそっくりそのまま真似して
写実的に庭園に持ってくるという意味ではなく、石でそれを表現
するという意味でしょうか(滝や小川を作る際に石を組んだり
並べたりする造園も含めての「石を立てる」かもしれませんが)。

石により何かを表現するのが本格化するのは室町期でしょうね
(「作庭記」の教えがどの程度伝わっていたかは知りませんが)。
私は室町期の庭園が好きなのですが、おそらく室町期の名庭は
「本物の自然とは別の美的価値」が高いんだろうなあと。
勿論自然と無関係の庭ではないけれど、そのままの模倣ではない。
その次の時代になると茶庭が入ってきて、露地庭園は茶室を
「市中の山居」とするために山に似せようとしたところも
あるでしょうから、自然のシンプルな模倣から最も遠い
日本庭園は現代庭園を除けば室町期の庭園なんじゃないかと。
そしてそこが私の好みなんじゃないかと。

逆に自然に似せた庭園が好きな方もいるんでしょうね。
庭園が自然に勝てるとまでは思わなくても
「自然は最も美しい、だから少しでも自然に近づけるために
自然に倣うべし」みたいな。どっち派が多いんだろ。
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