Gikuri

ギクリのブログ。たまに自意識過剰。

いまだに高校時代の副教材を保管してる俺

2006-08-19 | 読書
鶴岡真弓『ケルト美術への招待』(筑摩書房、1995年)を読みました。
渦巻き模様、人面と植物文様と融合した造形(ある意味グロテスク)、
細かい装飾文様が施された聖書の頭文字…等々が分かる本ですが、
p203に見たことのある絵が…。

『ケルズの書』(9世紀頃制作?)の聖母子像です。
(どんな絵なのかはトッパンフォームズのこのページを参照)

ノーサンブリアで698年ごろつくられた聖カスバートの木簡に線刻された
「聖母子像」と酷似し、ビザンチン美術の影響を反映させながらも、
分厚い装飾の縁取りや紫を基調とした色彩の美しさによって
独自の聖像表現を打ち出している。(略)その聖母子の神々しさを
表現するのは、周りを固めた装飾文様の輝きである。(p206~207)


で、どこで見たかというと、高校時代の世界史の副教材です
(『最新世界史図表 改訂3版』第一学習社、1998年)。
ルネサンスのところ(p132)ですね。「聖母子に見るルネサンス」と。
この『ケルズの書』の聖母子像を「中世の聖母子像」として、
ラファエロの「椅子のマドンナ」と比較しているわけです。


中世の聖母子像は、宗教的な心情をよくあらわしているが、表情は固く、
幼児のキリストも大人のようである。(略)ルネサンス期の聖母子像は、
母親と幼児の姿をありのままにとらえ、人間味にあふれているが、
その分宗教性が希薄になっている。中世とルネサンスを隔てる違いを、
目に見える形でよくあらわしている。


ここでこの副教材について少し疑問に思ったのが、
「中世の聖母子像の代表として、ケルト美術を選んでいいのか?」
ということです。確かにケルトを「周縁」扱いするのは偏見になりますが、
ヨーロッパ大陸とは異なる独自の表現をしていることは確かです。
「日本の平安時代の絵」と「中国の明の時代の絵」を比較して
「時代を隔てる違いを目に見える形で…」なんて言う人がいないのは
当然ながら時代以前に日本文化と中国文化の違いがあるからですが、
ケルト文化のヨーロッパ大陸文化との違いの大きさによっては、
違う時代で日本文化と中国文化を比較するのと同じことが
言えてしまうわけですね(ほとんど変わらないならともかく)。

ラファエロはイタリアの画家なんですから、ここでは
中世イタリアの聖母子像を探して比べるのが一番正確だと思います。
…ケルトの聖母子像であることを隠蔽して並べているということは
確信犯の可能性もありますが(笑)。確かにケルト美術はギリシャ美術の
均整の取れた人像に代表される「人間主義」を受け入れなかったと
いうことで、ヨーロッパの他地域以上にルネサンス美術とは
懸け離れていると仮定すれば、「中世とルネサンスを隔てる違いを、
目に見える形でよくあらわしている」という結論を導くには
ケルト美術は最も好都合なのかもしれません。

ところで10年近く経った今の版でもこのコーナー残ってるんでしょうかね?
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