朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

日本緑茶発祥の地、その製法発明者 永谷宗円の生家

2019-04-15 | 京都の文化(春)

山城国湯屋谷村(京都府綴喜郡(つづきぐん)宇治田原町湯屋谷)にある山村で江戸時代(1860年)に生まれた永谷宗円のことを、村の入り口にある蕎麦屋に置いてあったパンフレットで知って訪ねてみることにしました。

集落の中を縫って続く本当に狭い道を抜けて、ようやく着きました。

永谷宗円の生家は再建された藁ぶき屋根の家でした。

 裏庭には大きな桜の木が咲き誇っていました。

 

 室内の囲炉裏の周りに座って、説明のビデオを拝見しました。

座ると、案内係のおばちゃんがこの地で作った緑茶を入れてくれました。最初のお茶はさました低い温度のお湯で入れます。

甘みと香りのある薄い緑色のおいしいお茶。しばらくして、二煎目は熱いお湯で入れてくれました。こちらはやや茶色となって渋みを感じる味わいでした。

さて、ビデオの説明によると、お茶は室町時代以前に栄西禅師が中国から持ち帰り、その飲み方には二つの方法がありました。一つは、覆いをかけて育った柔らかい新芽だけを摘んで蒸して乾燥させる「てん茶」でこれが抹茶の素材となる。高価であり上流階級の「茶の湯」文化作法にとり入れられました。

もう一つは、古葉も新芽も併せて摘み取り、熱を加えて手足でもみ天日で乾燥させる日干番茶。茶の色は文字通り「茶色」。こちらのほうが庶民向けでした。

しかし高級なてん茶(覆い下栽培)は宇治でも一部の御茶師にしか許可されていなかった。そこで、宗円は法に触れず露天栽培の茶葉を使って緑の色と香りを保持するお茶の製法の工夫に取り組みました。

幾多の努力の末に「青製煎茶」あるいは「宇治製煎茶」が完成。

その評判は良いものでしたが、次のステップは販路拡大でした。

宗円はそこで当時の政治経済の首都、江戸に出かけて多くの茶商に持ち回ったのですがそれ以前の茶色の粗末なお茶とあまりにも異なったため受け入れてもらえません。

最後に、日本橋の茶商山本屋(のちの山本山)を訪問したところ大いに認められました。それが日本で広く緑茶が普及するきっかけとなりました。

宗円さんのえらいところは、その製法を秘密にせず、広く同業者に開放して製造技術を広めていったことです。

~ とてもいい話を知ることができました。記念に、宗円ブランドの煎茶を一袋求めました。

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宗円さんの偉業をしるきっかけとなった蕎麦屋「実り」はここ:

陶芸も本業のようです。そば打ちや陶芸の体験教室も開催しています。



(宇治田原町いいとこガイド リーフレットより)

 とろろそば

ざるそば

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コメント (2)
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