♪大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 ※百人一首: 小式部内侍 『金葉集』雑上・550
福知山から国道175号線を経て府道9号線へ入り山深い田舎を宮津方面へ走っていると、こんな鬼のモニュメントが現れました
酒呑童子で知られる、鬼の里でした。
”時は平安朝、一条天皇の頃。西暦1000年前後、京の都は栄えていましたが、それはほんの一握りの摂関貴族たちの繁栄であり、世の中は乱れに乱れ民衆は社会不安におののいていました。そんな世の中で、酒呑童子は王権に叛き、京の都から姫君たちを次々にさらっていたのです。” (引用:http://www.city.fukuchiyama.kyoto.jp/onihaku/densetu/index.html )
(引用:同上)
”姫君たちを奪い返し酒呑童子を退治するため大江山へ差し向けられたのが、源頼光(みなものとのよりみつ)を頭に藤原保昌(ふじわらのやすまさ)並びに四天王の面々、坂田公時(さかたのきんとき)、渡辺綱(わたなべのつな)、ト部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)ら6名です。”
ここに「日本の鬼の交流博物館」があります。看板を見ただけで、通過してしまいましたが、博物館のウェブを読むとなかなか興味深い。いつか訪問したいと思います。
平安京の時代は、都の中央政権以外はすべて悪者。
先日の新歌舞伎でも、蝦夷の人々が反乱軍となっていて征服される物語でした。
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冒頭に、百人一首の歌を紹介しましたが、子供の頃、正月に「かるた」遊びをしました。
もう、現代の若い家庭では、そんな正月風景など無くなっているのでしょうか。